ゐるが、おしまひのはうに到つて、「岩城と津軽の岩城山とは南北百余里を隔て之を祭るはいぶかし。」とおのづから語るに落ちるやうな工合になつてしまつてゐる。鴎外の「山椒大夫」には、「岩代の信夫郡の住家を出て」と書いてゐる。つまりこれは、岩城といふ字を、「いはき」と読んだり「いはしろ」と読んだりして、ごちやまぜになつて、たうとう津軽の岩木山がその伝説を引受ける事になつたのではないかと思はれる。しかし、昔の津軽の人たちは、安寿厨子王が津軽の子供である事を堅く信じ、につくき山椒大夫を呪ふあまりに、丹後の人が入込めば津軽の天候が悪化するとまで思ひつめてゐたとは、私たち安寿厨子王の同情者にとつては、痛快でない事もないのである。
外ヶ浜の昔噺は、これ位にしてやめて、さて、私たちのバスはお昼頃、Mさんのゐる今別に着いた。今別は前にも言つたやうに、明るく、近代的とさへ言ひたいくらゐの港町である。人口も、四千に近いやうである。N君に案内されて、Mさんのお家を訪れたが、奥さんが出て来られて、留守です、とおつしやる。ちよつとお元気が無いやうに見受けられた。よその家庭のこのやうな様子を見ると、私はすぐに、ああ、これは、僕の事で喧嘩をしたんぢやないかな? と思つてしまふ癖がある。当つてゐる事もあるし、当つてゐない事もある。作家や新聞記者等の出現は、善良の家庭に、とかく不安の感を起させ易いものである。その事は、作家にとつても、かなりの苦痛になつてゐる筈である。この苦痛を体験した事のない作家は、馬鹿である。
「どちらへ、いらつしやつたのですか?」とN君はのんびりしてゐる。リユツクサツクをおろして、「とにかく、ちよつと休ませていただきます。」玄関の式台に腰をおろした。
「呼んでまゐります。」
「はあ、すみませんですな。」N君は泰然たるものである。「病院のはうですか?」
「え、さうかと思ひます。」美しく内気さうな奥さんは、小さい声で言つて下駄をつつかけ外へ出て行つた。Mさんは、今別の或る病院に勤めてゐるのである。
私もN君と並んで式台に腰をおろし、Mさんを待つた。
「よく、打合せて置いたのかね。」
「うん、まあね。」N君は、落ちついて煙草をふかしてゐる。
「あいにく昼飯時で、いけなかつたね。」私は何かと気をもんでゐた。
「いや、僕たちもお弁当を持つて来たんだから。」と言つて澄ましてゐる。西郷隆盛もかく
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