そろえて叫んで、ぱっと飛び立つ。
月下白光三千里の長江《ちょうこう》、洋々と東北方に流れて、魚容は酔えるが如く、流れにしたがっておよそ二ときばかり飛翔して、ようよう夜も明けはなれて遥《はる》か前方に水の都、漢陽の家々の甍《いらか》が朝靄《あさもや》の底に静かに沈んで眠っているのが見えて来た。近づくにつれて、晴川《せいせん》歴々たり漢陽の樹、芳草|萋々《せいせい》たり鸚鵡《おうむ》の洲、対岸には黄鶴楼の聳《そび》えるあり、長江をへだてて晴川閣と何事か昔を語り合い、帆影点々といそがしげに江上を往来し、更にすすめば大別山《だいべつざん》の高峰眼下にあり、麓《ふもと》には水漫々の月湖ひろがり、更に北方には漢水|蜿蜒《えんえん》と天際に流れ、東洋のヴェニス一|眸《ぼう》の中に収り、「わが郷関《きょうかん》何《いず》れの処ぞ是《これ》なる、煙波江上、人をして愁えしむ」と魚容は、うっとり呟いた時、竹青は振りかえって、
「さあ、もう家へまいりました。」と漢水の小さな孤洲の上で悠然と輪を描きながら言った。魚容も真似して大きく輪を描いて飛びながら、脚下の孤洲を見ると、緑楊《りょくよう》水にひたり若草|烟《けむ》るが如き一隅にお人形の住家みたいな可憐な美しい楼舎があって、いましもその家の中から召使いらしき者五、六人、走り出て空を仰ぎ、手を振って魚容たちを歓迎している様が豆人形のように小さく見えた。竹青は眼で魚容に合図して、翼をすぼめ、一直線にその家めがけて降りて行き、魚容もおくれじと後を追い、二羽、その洲の青草原に降り立ったとたんに、二人は貴公子と麗人、にっこり笑い合って寄り添い、迎えの者に囲まれながらその美しい楼舎にはいった。
竹青に手をひかれて奥の部屋へ行くと、その部屋は暗く、卓上の銀燭《ぎんしょく》は青烟《せいえん》を吐《は》き、垂幕《すいばく》の金糸銀糸は鈍く光って、寝台には赤い小さな机が置かれ、その上に美酒|佳肴《かこう》がならべられて、数刻前から客を待ち顔である。
「まだ、夜が明けぬのか。」魚容は間《ま》の抜けた質問を発した。
「あら、いやだわ。」と竹青は少し顔をあからめて、「暗いほうが、恥かしくなくていいと思って。」と小声で言った。
「君子の道は闇然《あんぜん》たり、か。」魚容は苦笑して、つまらぬ洒落《しゃれ》を言い、「しかし、隠《いん》に素《むか》いて怪を行う、という
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