善蔵を思う
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)嘘《うそ》
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――はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止《よ》し給《たま》え。嘘《うそ》でないものを、一度でいいから、言ってごらん。
――君の言うとおりにすると、私は、もういちど牢屋へ、はいって来なければならない。もういちど入水をやり直さなければならない。もういちど狂人にならなければならない。君は、その時になっても、逃げないか。私は、嘘ばかりついている。けれども、一度だって君を欺《あざむ》いたことが無い。私の嘘は、いつでも君に易々と見破られたではないか。ほんものの兇悪の嘘つきは、かえって君の尊敬している人の中に在るのかも知れぬ。あの人は、いやだ。あんな人にはなりたくないと反撥のあまり、私はとうとう、本当の事をさえ、嘘みたいに語るようになってしまった。ささ濁り。けれども、君を欺かない。底まで澄んでいなくても、私はきょうも、嘘みたいな、まことの話を君に語ろう。
暁雲は、あれは夕焼から生れた子だと。夕陽なくして、暁雲は生れない。夕焼は、いつも思う。「わたくしは、疲れてしまいました。わたくしを、そんなに見つめては、いけません。わたくしを愛しては、いけません。わたくしは、やがて死ぬる身体《からだ》です。けれども、明日の朝、東の空から生れ出る太陽を、必ずあなたの友にしてやって下さい。あれは私の、手塩にかけた子供です。まるまる太ったいい子です。」夕焼は、それを諸君に訴えて、そうして悲しく微笑《ほほえ》むのである。そのとき諸君は夕焼を、不健康、頽廃《たいはい》、などの暴言で罵り嘲うことが、できるであろうか。できるとも、と言下に答えて腕まくり、一歩まえに進み出た壮士ふうの男は、この世の大馬鹿野郎である。君みたいな馬鹿がいるから、いよいよ世の中が住みにくくなるのだ。
おゆるし下さい。言葉が過ぎた。私は、人生の検事でもなければ、判事でもない。人を責める資格は、私に無い。私は、悪の子である。私は、業《ごう》が深くて、おそらくは君の五十倍、百倍の悪事を為《な》した。現に、いまも、私は悪事を為している。どんなに気をつけていても、駄目なのだ。一日として悪事を為さぬ日は、無い。神に祷《いの》り、自分の両手を縄で縛って、地にひれ伏していながらも、ふっと気がついた時には
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