、すでに重大の悪事を為している。私は、鞭《むち》打たれなければならぬ男である。血潮噴くまで打たれても、私は黙っていなければならぬ。
夕焼も、生れながらに醜い、含羞《がんしゅう》の笑を以《もっ》てこの世に現われたのではなかった。まるまる太って無邪気に気負い、おのれ意慾すれば万事かならず成ると、のんのん燃えて天駈けた素晴らしい時刻も在ったのだ。いまは、弱者。もともと劣勢の生れでは無かった。悪の、おのれの悪の自覚ゆえに弱いのだ。「われ、かつて王座にありき。いまは、庭の、薔薇《ばら》の花を見て居る。」これは友人の、山樫君の創った言葉である。
私の庭にも薔薇が在るのだ。八本である。花は、咲いていない。心細げの小さい葉だけが、ちりちり冷風に震えている。この薔薇は、私が、瞞《だま》されて買ったのである。その欺きかたが、浅墓《あさはか》な、ほとんど暴力的なものだったので、私は、そのとき実に、言いよう無く不愉快であった。私が九月のはじめ、甲府から此《こ》の三鷹の、畑の中の家に引越して来て、四日目の昼ごろ、ひとりの百姓女がひょっこり庭に現われ、ごめん下さいましい、と卑屈な猫撫声《ねこなでごえ》を発したのである。私はその時、部屋で手紙を書いていたのであるが、手を休めて、女のさまを、よく見た。三十五、六くらいの太った百姓女である。顔は栗のように下ぶくれで蒼黒く、針のように細い眼が、いやらしく光って笑い、歯は真白である。私は、いやな気持がしたから、黙っていた。けれども女は、私にむかって叮嚀にお辞儀をして、私の顔を斜《はす》に覗《のぞ》き込むようにしながら、ごめん下さいましい、とまた言った。あたしら、ここの畑の百姓でございますよ。こんど畑に家が建つのですのよ。薔薇を、な、これだけ植えて育てていたのですけんど、家が建つので可哀そうに、抜いて捨てなけれやならねえのよ。もったいないから、ここのお庭に、ちょっと植えさせて下さいましい。植えてから、六年になりますのよ。ほら、こんなに根株が太くなって、毎年、いい花が咲きますよ。なあに、そこの畑で毎日はたらいている百姓でございますもの、ちょいちょい来ては手入れして差し上げます。旦那さま、あたしらの畑にはダリヤでも、チュウリップでも、草花たくさんございます、こんどまた、お好きなものを持って来て植えてあげますよ。あたしらも、きらいなお家《うち》にはお願いしな
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