多頭蛇哲学
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)呉《く》れ
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事態がたいへん複雑になっている。ゲシュタルト心理学が持ち出され、全体主義という合言葉も生れて、新しい世界観が、そろそろ登場の身仕度を始めた。
古いノオトだけでは、間に合わなくなって来た。文化のガイドたちは、またまた図書館通いを始めなければなるまい。まじめに。
全体主義哲学の認識論に於いて、すぐさま突き当る難関は、その認識確証の様式であろう。何に依って表示するか。言葉か。永遠にパンセは言葉にたよる他、仕方ないものなのか。音はどうか。アクセントはどうか。色彩はどうか。模様はどうか。身振りはどうか。顔の表情では、いけないか。眼の動きにのみたよるという法はどうか。採用可能の要素がないか。しらべて呉《く》れ。
いけないか。一つ一つ入念にしらべてみたか。いや、いちいちその研究発表を、いま、ここで、せずともよい。いずれ、大論文にちがいない。そうして、やっぱり、言葉でなければいけないか。音ではだめか。アクセントでは、だめか。色彩では、だめか。みんな、だめか。言葉にたよる他、全体認識の確証を示
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