「酒は無いのか」と突然かれは言った。
 私はさすがに、かれの顔を見直した。かれも、一瞬、工合いの悪そうな、まぶしそうな顔をしたが、しかし、つっぱった。
「お前のところには、いつでも二升や三升は、あると聞いているんだ。飲ませろ。かかは、いないのか。かかのお酌で一ぱい飲ませろ」
 私は立ち上り、
「よし。じゃ、こっちへ来い」
 つまらない思いであった。
 私は彼を奥の書斎に案内した。
「散らかっているぜ」
「いや、かまわない。文学者の部屋というのは、みんなこんなものだ。俺も東京にいた頃、いろんな文学者と附き合いがあったからな」
 しかし、私にはとてもそれは信じられなかった。
「やっぱり、でも、いい部屋だな。さすがに、立派な普請だ。庭の眺めもいい。柊《ひいらぎ》があるな。柊のいわれを知っているか」
「知らない」
「知らないのか?」と得意になり、「そのいわれは、大にして世界的、小にしては家庭、またお前たちの書く材料になる」
 さっぱり言葉が、意味をなして居らぬ。足りないのではないか、とさえ思われた。しかし、そうではなかった。なかなか、ずるくて達者な一面も、あとで見せてくれたのである。
「な
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