ごれの無い、縞目のあざやかな着物を着て、きっちり角帯をしめている。ちょっと近所の友人の家を訪れる時にも、かならず第一の正装をするのだ。ふところには、洗ったばかりのハンケチが、きちんと四つに畳まれてはいっている。
 私は、このごろ、どうしてだか、紋服を着て歩きたくて仕様がない。
 けさ、花を買って帰る途中、三鷹駅前の広場に、古風な馬車が客を待っているのを見た。明治、鹿鳴館《ろくめいかん》のにおいがあった。私は、あまりの懐しさに、馭者《ぎょしゃ》に尋ねた。
「この馬車は、どこへ行くのですか。」
「さあ、どこへでも。」老いた馭者は、あいそよく答えた。「タキシイだよ。」
「銀座へ行ってくれますか。」
「銀座は遠いよ。」笑い出した。「電車で行けよ。」
 私は此の馬車に乗って銀座八丁を練りあるいてみたかったのだ。鶴の丸(私の家の紋は、鶴の丸だ)の紋服を着て、仙台平《せんだいひら》の袴《はかま》をはいて、白足袋、そんな姿でこの馬車にゆったり乗って銀座八丁を練りあるきたい。ああ、このごろ私は毎日、新郎《はなむこ》の心で生きている。
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┌昭和十六年十二月八日之を記せり。   
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