し走って、また振りかえり、「すぐに幸吉さんに知らせてあげますから、ね。」
ひとり豆腐屋の軒下に、置き残され、私は夢みるようであった。白日夢。そんな気がした。ひどくリアリティがない。ばかげた話である。とにかく、銭湯まで一走り。湯槽《ゆぶね》に、からだを沈ませて、ゆっくり考えてみると、不愉快になって来た。どうにも、むかむかするのである。私が、おとなしく昼寝をしていて、なんにもしないのに、蜂《はち》が一匹、飛んで来て、私の頬を刺して、行った。そんな感じだ。全くの災難である。東京での、いろいろの恐怖を避けて、甲府へこっそりやって来て、誰にも住所を知らせず、やや、落ちついて少しずつ貧しい仕事をすすめて、このごろ、どうやら仕事の調子も出て来て、ほのかに嬉しく思っていたのに、これはまた、思いも設けぬ災難である。なんとも知れぬ人物が、ぞろぞろ目前にあらわれて、私に笑いかけ、話しかけ、私はそのお化けたちに包囲され、なんと挨拶の仕様もなく、ただうろうろしている図は、想像してさえ不愉快である。仕事も何も、あったものじゃない。いい加減に私を掻《か》きまわして、いや、どうも、人ちがいでした、と言って引きあげて
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