り。」と言って、まずしいながら酒肴《しゅこう》を供した。
客の中には盃《さかずき》を手にして、わなわな震える者が出て来た。いかがなされた、と聞かれて、その者は涙を拭《ふ》き、
「いや、おかまい下さるな。それがしは、貧のため、久しく酒に遠ざかり、お恥ずかしいが酒の飲み方を忘れ申した。」と言って、淋《さび》しそうに笑った。
「御同様、」と半襦絆に馬乗袴は膝《ひざ》をすすめ、「それがしも、ただいま、二、三杯つづけさまに飲み、まことに変な気持で、このさきどうすればよいのか、酒の酔い方を忘れてしまいました。」
みな似たような思いと見えて、一座しんみりして、遠慮しながら互いに小声で盃のやりとりをしていたが、そのうちに皆、酒の酔い方を思い出して来たと見えて、笑声も起り、次第に座敷が陽気になって来た頃《ころ》、主人の原田はれいの小判十両の紙包を取出し、
「きょうは御一同に御|披露《ひろう》したい珍物がございます。あなたがたは、御懐中の御都合のわるい時には、いさぎよくお酒を遠ざけ、つつましくお暮しなさるから、大みそかでお困りにはなっても、この原田ほどはお苦しみなさるまいが、わしはどうも、金に困るとな
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