将ひとり怏々《おうおう》として楽しまず、女房の毎夜の寝物語は味噌漬《みそづけ》がどうしたの塩鮭《しおざけ》の骨がどうしたのと呆《あき》れるほど興覚めな事だけで、せっかくお金が唸《うな》るほどありながら悋気の女房をもらったばかりに眼まいするほど長湯して、そうして味噌漬の話や塩鮭の話を拝聴していなければならぬ、おのれ、いまに隠居が死んだら、とけしからぬ事を考え、うわべは何気なさそうに立ち働き、内心ひそかによろしき時機をねらっていた。やがて隠居夫婦も寄る年波、紙小縒の羽織紐がまだ六本引出しの中に残ってあると言い遺《のこ》して老父まず往生すれば、老母はその引出しに羽織紐が四本しか無いのを気に病み、これも程なく後を追い、もはやこの家に気兼ねの者は無く、名実共に若大将の天下、まず悋気の女房を連れて伊勢参宮、ついでに京大阪を廻り、都のしゃれた風俗を見せ、野暮な女房を持ったばかりに亭主は人殺しをして牢《ろう》へはいるという筋の芝居を見せて、女房の悋気のつつしむべき所以《ゆえん》を無言の裡《うち》に教訓し、都のはやりの派手な着物や帯をどっさり買ってやったら女房は、女心のあさましく、国へ帰ってからも都の人
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