を譫語《うわごと》の如《ごと》く力無く呟《つぶや》き、またしても、えへへ、と笑うのである。まいどの事ながら、女房はうつつの地獄の思いに堪《た》えかね、勝手口から走り出て、自身の兄の半井清庵《なからいせいあん》という神田明神《かんだみょうじん》の横町に住む医師の宅に駈《か》け込み、涙ながらに窮状を訴え、助力を乞《こ》うた。清庵も、たびたびの迷惑、つくづく呆《あき》れながらも、こいつ洒落《しゃれ》た男で、「親戚にひとりくらい、そのような馬鹿《ばか》がいるのも、浮世の味。」と笑って言って、小判十枚を紙に包み、その上書《うわがき》に「貧病の妙薬、金用丸《きんようがん》、よろずによし。」と記して、不幸の妹に手渡した。
 女房からその貧病の妙薬を示されて、原田内助、よろこぶかと思いのほか、むずかしき顔をして、「この金は使われぬぞ。」とかすれた声で、へんな事を言い出した。女房は、こりゃ亭主《ていしゅ》もいよいよ本当に気が狂ったかと、ぎょっとした。狂ったのではない。駄目な男というものは、幸福を受取るに当ってさえ、下手くそを極めるものである。突然の幸福のお見舞いにへどもどして、てれてしまって、かえって奇
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