きにあるようだ。
 二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多《はかた》の海が青く展開するのを夢のように眺《なが》めて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かと胆《きも》をひやし、生きた心地《ここち》も無くただ歩きに歩いて蹌踉《そうろう》とたどりついたところは其《そ》の名も盛者必衰《じょうしゃひっすい》、是生滅法《ぜしょうめっぽう》の鐘が崎、この鐘が崎の山添の野をわけて次郎右衛門のほのかな知合いの家をたずね、案の如く薄情のあしらいを受けて、けれどもそれも無理のない事と我慢して、ぶしつけながら、とお金を紙に包んで差し出し、その日は、納屋《なや》に休ませてもらい、浅間しき身のなりゆきと今はじめて思い当って青く窶《やつ》れた顔を見合せて溜息《ためいき》をつき、お蘭は、手飼いの猿《さる》の吉兵衛の背を撫《な》でながら、やたらに鼻をすすり上げた。この吉兵衛という名の猿は、小猿の頃からお蘭に可愛《かわい》がられて育ち、娘が男と一緒にひたすら夜道を急ぐ後を慕ってついて来て、一里あまり過ぎた頃、お蘭が見つけて叱《しか》って追っても、石を投げて追ってもひょこひょこついて来て、次郎右衛門は不
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