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貧の意地
むかし江戸品川、藤茶屋《ふじぢゃや》のあたり、見るかげも無き草の庵《いおり》に、原田内助というおそろしく鬚《ひげ》の濃い、眼《め》の血走った中年の大男が住んでいた。容貌《ようぼう》おそろしげなる人は、その自身の顔の威厳にみずから恐縮して、かえって、へんに弱気になっているものであるが、この原田内助も、眉《まゆ》は太く眼はぎょろりとして、ただものでないような立派な顔をしていながら、いっこうに駄目《だめ》な男で、剣術の折には眼を固くつぶって奇妙な声を挙げながらあらぬ方に向って突進し、壁につきあたって、まいった、と言い、いたずらに壁破りの異名を高め、蜆《しじみ》売りのずるい少年から、嘘《うそ》の身上噺《みのうえばなし》を聞いて、おいおい声を放って泣き、蜆を全部買いしめて、家へ持って帰って女房《にょうぼう》に叱《しか》られ、三日のあいだ朝昼晩、蜆ばかり食べさせられて胃痙攣《いけいれん》を起して転輾《てんてん》し、論語をひらいて、学而《がくじ》第一、と読むと必ず睡魔に襲われるところとなり、毛虫がきらいで、それを見ると、きゃっと悲鳴
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