慶坊が、立ち上りかけて、急に劇烈の腹痛にでも襲われたかのように嶮《けわ》しく顔をしかめて、ううむと一声|呻《うめ》き、
「時も時、つまらぬ俳句を作り申した。貧病の薬いただく雪あかり。おのおのがた、それがしの懐に小判一両たしかにあります。いまさら、着物を脱いで打ち振うまでもござらぬ。思いも寄らぬ災難。言い開きも、めめしい。ここで命を。」と言いも終らず、両肌《もろはだ》脱いで脇差《わきざ》しに手を掛ければ、主人はじめ皆々駈け寄って、その手を抑え、
「誰《だれ》もそなたを疑ってはいない。そなたばかりでなく、自分らも皆、その日暮しのあさましい貧者ながら、時に依《よ》って懐中に、一両くらいの金子《きんす》は持っている事もあるさ。貧者は貧者同志、死んで身の潔白を示そうというそなたの気持はわかるが、しかし、誰ひとりそなたを疑う人も無いのに、切腹などは馬鹿らしいではないか。」と口々になだめると、短慶いよいよわが身の不運がうらめしく、なげきはつのり、歯ぎしりして、
「お言葉は有難《ありがた》いが、そのお情《なさけ》も冥途《めいど》への土産。一両|詮議《せんぎ》の大事の時、生憎《あいにく》と一両ふところに
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