いかとひとりが言えば、ひとりは助けて! と叫んでけわしい崖《がけ》をするする降りて逃げるを、待て待て、と追ってつかまえ大笑いして、母親はこれを見て悲しがるわけでもなく、かえって薙刀《なぎなた》など与えて旅人をあやめる稽古《けいこ》をさせ、天を恐れぬ悪業、その行末もおそろしく、果せる哉《かな》、春枝十八お夏十六の冬に、父の山賊に天罰下り、雪崩《なだれ》の下敷になって五体の骨々|微塵《みじん》にくだけ、眼もあてられぬむごたらしい死にざまをして、母子なげく中にも、手下どもは悪人の本性をあらわして親分のしこたまためた金銀財宝諸道具食料ことごとく持ち去り、母子はたちまち雪深い山中で暮しに窮した。
「何でもないさ。」と勝気のお夏は威勢よく言って母と姉をはげまし、「いままで通り、旅人をやっつけようよ。」
「でも、」と妹にくらべて少しおとなしい姉の春枝は分別ありげに、「女ばかりじゃ、駄目よ。かえってあたしたちのほうで着物をはぎとられてしまうわよ。」
「弱虫、弱虫。男の身なりをして刀を持って行けばなんでもない。やいこら、とこんな工合いに男のひとみたいな太い声で呼びとめると、どんな旅人だって震え上るにきま
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