立って、固く抱き合い、姉は思わずお念仏を称《とな》え、人の末は皆このように焼かれるのだ、着物も何もはかないものだとふっと人の世の無常を観じて、わが心の恐しさに今更ながら身震いして、とかくこの一反の絹のためさもしい考えを起すのだ、何も要らぬと手に持っている反物を谷底の煙めがけて投げ込めば、妹もすぐに投げ込み、わっと泣き出して、
「姉さん、ごめん、あたしは悪い子よ。あたしは、姉さんをたったいままで殺そうと思っていたの。姉さん! あたしだって、もう十六よ。綺麗な着物を欲しいのよ。でも、あたしはこんな不器量な子だから、お洒落《しゃれ》をすると笑われるかと思って、わざと男の子みたいな事ばかり言っていたのよ。ごめんね。姉さん、あたしはこのお正月に晴衣が一枚ほしくて、あたしの絹を紅梅に染めて、そうして姉さんの絹を裏地にしようと思って、姉さん、あたしはいけない子よ、姉さんを刀で突いてそうしてお母さんには、姉さんが旅人に殺されたと申し上げるつもりでいたの。いまあの火葬の煙を見たら、もう何もかもいやになって、あたしはもう生きて行く気がしなくなった。」と意外の事を口走るので、姉は仰天して、
「何を言うの? ゆるすもゆるさぬも、それはあたしの事ですよ。あたしこそ、お前を突き殺して絹を奪おうと思って、あの煙を見たら悲しくなって、あたしの反物を谷底へ投げ込んだのじゃないの。」と言って、さらに妹を固く抱きしめてこれも泣き出す。
かつは驚き、かつは恥じ、永からぬ世に生れ殊に女の身としてかかる悪逆の暮し、後世《ごせ》のほども恐ろし、こんにちこれぎり浮世の望みを捨てん、と二人は腰の刀も熊の毛皮も谷底の火焔《かえん》に投じて、泣き泣き山寨に帰り、留守番の母に逐一事情を語り、母にもお覚悟のほどを迫れば、母も二十年の悪夢から醒《さ》め、はじめて母のいやしからぬ血筋を二人に打ち明け、わが身の現在のあさましさを歎き、まっさきに黒髪を切り、二人の娘もおくれじと剃髪《ていはつ》して三人|比丘尼《びくに》、汚濁の古巣を焼き払い、笹谷峠のふもとの寺に行き老僧に向って懺悔《ざんげ》しその衣《ころも》の裾《すそ》にすがってあけくれ念仏を称え、これまであやめた旅人の菩提《ぼだい》を弔《とむら》ったとは頗《すこぶ》る殊勝に似たれども、父子二代の積悪《せきあく》はたして如来《にょらい》の許し給《たも》うや否《いな》や。
[#地から2字上げ](新可笑記《しんかせうき》、巻五の四、腹からの女追剥《をんなおひはぎ》)
[#改ページ]
赤い太鼓
むかし都の西陣《にしじん》に、織物職人の家多く、軒をならべておのおの織物の腕を競い家業にはげんでいる中に、徳兵衛《とくべえ》とて、名こそ福徳の人に似ているが、どういうものか、お金が残らず胆《きも》を冷やしてその日暮し、晩酌《ばんしゃく》も二合を越えず、女房《にょうぼう》と連添うて十九年、他《ほか》の女にお酌をさせた経験も無く、道楽といえば、たまに下職《したしょく》を相手に将棋をさすくらいのもので、それもひまを惜しんで目まぐるしい早将棋一番かぎり、約束の仕事の日限を違《たが》えた事はいちども無く万事に油断せず精出して、女房も丈夫、子供も息災、みずからは二十《はたち》の時に奥歯一本虫に食われて三日病んだ他には病気というものを知らず、さりとてけちで世間の附《つ》き合いの義理を欠くというわけではなく職人仲間に律儀者《りちぎもの》の評判を取り、しかも神仏の信心深く、ひとつとして悪事なく、人生四十年を過して来たものの、どういうわけか、いつも貧乏で、世の中には貧乏性といってこのような不思議はままある事ながら、それにしても、徳兵衛ほどの善人がいつまでも福の神に見舞われぬとは、浮世にはわからぬ事もあるものだと、町内の顔役たちは女房に寝物語してひそかにわが家の内福に安堵《あんど》するというような有様であった。そのうちに徳兵衛の貧乏いよいよ迫り、ことしの暮は夜逃げの他に才覚つかず、しのびしのび諸道具売払うを、町内の顔役たちが目ざとく見つけ、永年のよしみ、捨て置けず、それとなく徳兵衛に様子を聞けば、わずか七、八十両の借金に首がまわらず夜逃げの覚悟と泣きながら言う。顔役は笑い、
「なんだ、たかが七、八十両の借金で、先代からのこの老舗《しにせ》をつぶすなんて法は無い。ことしの暮は万事わしたちが引受けますから、もう一度、まあ、ねばってみなさい。来年こそは、この身代《しんだい》にも一花咲かせて見せて下さい。子供さんにも、お年玉を奮発して、下職への仕着《しきせ》も紋無しの浅黄《あさぎ》にするといまからでも間に合いますから、お金の事など心配せず、まあ、わしたちに委《まか》せて、大船に乗った気で一つ思い切り派手に年越しをするんだね。お内儀も、そんな、めそめそしてないで、せっかくの
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