っている。でも、おさむらいはこわいな。じいさんばあさんか、女のひとり旅か、にやけた商人か、そんな人たちを選んでおどかしたら、きっと成功するわよ。面白《おもしろ》いじゃないの。あたしは、あの熊の毛皮を頭からかぶって行こう。」無邪気と悪魔とは紙一重である。
「うまくいくといいけど、」と姉は淋《さび》しげに微笑んで、「とにかくそれじゃ、やって見ましょう。あたしたちは、どうでもいいけど、お母さんにお怪我《けが》があっては大変だから、お母さんはお留守番して、あたしたちの獲物をおとなしく待っているのよ。」と母に言い、山育ちの娘も本能として、少しは親を大事にする気持があるらしく、その日から娘二人は、山男の身なりで、おどけ者の妹は鍋墨《なべずみ》で父にそっくりの口髭《くちひげ》など描いて出かけ、町人里人の弱そうな者を捜し出してはおどし、女心はこまかく、懐中の金子《きんす》はもとより、にぎりめし、鼻紙、お守り、火打石、爪楊子《つまようじ》のはてまで一物も余さず奪い、家へ帰って、財布の中の金銀よりは、その財布の縞柄《しまがら》の美しきを喜び、次第にこのいまわしき仕事にはげみが出て来て、もはや心底からのおそろしい山賊になってしまったものの如く、雪の峠をたまに通る旅人を待ち伏せているだけでは獲物が少くてつまらぬなどと、すっかり大胆になって里近くまで押しかけ、里の女のつまらぬ櫛笄《くしこうがい》でも手に入れると有頂天になり、姉の春枝は既に十八、しかも妹のお転婆《てんば》にくらべて少しやさしく、自身の荒くれた男姿を情無く思う事もあり、熊の毛皮の下に赤い細帯などこっそりしめてみたりして、さすがにわかい娘の心は動いて、或る日、里近くで旅の絹商人をおどして得た白絹二反、一反ずつわけていそいそ胸に抱いて夕暮の雪道を急ぎ帰る途中に於いて、この姉の考えるには、もうそろそろお正月も近づいたし、あたしは是非とも晴衣《はれぎ》が一枚ほしい、女の子はたまには綺麗《きれい》に着飾らなければ生きている甲斐《かい》が無い、この白絹を藤色《ふじいろ》に染め、初春の着物を仕立てたいのだが裏地が無い、妹にわけてやった絹一反あれば見事な袷《あわせ》が出来るのに、と矢もたてもたまらず、さいぜんわけてやった妹の絹が欲しくなり、
「お夏や、お前この白絹をどうする気なの?」と胸をどきどきさせながら、それとなく聞いてみた。
「どうするって、姉さん、あたしはこれで鉢巻《はちまき》をたくさんこしらえるつもりなの。白絹の鉢巻は勇しくって、立派な親分さんみたいに見えるわよ。お父さんも、お仕事の時には絹の白鉢巻をしてお出かけになったわね。」とたわい無い事を言っている。
「まあ、そんな、つまらない。ね、いい子だから、姉さんにそれをゆずってくれない? こんど、何かまたいいものが手にはいった時には姉さんは、みんなお前にあげるから。」
「いやよ。」と妹は強く首を振った。「いや、いや。あたしは前から真白な鉢巻をほしいと思っていたのよ。旅人をおどかすのに、白鉢巻でもしてないと気勢があがらなくて工合いがわるいわ。」
「そんな馬鹿な事を言わないで、ね、後生《ごしょう》だから。」
「いや! 姉さん、しつっこいわよ。」
 へんに気まずくなってしまった。けれども姉はそんなに手きびしく断られるといよいよ総身が燃え立つように欲しくなり、妹に較《くら》べておとなしいとはいうものの、普段おとなしい子こそ思いつめた時にかえって残酷のおそろしい罪を犯す。殊《こと》にも山賊の父から兇悪《きょうあく》の血を受け、いまは父の真似して女だてらに旅人をおどしてその日その日を送り迎えしている娘だ。胸がもやもやとなり、はや、人が変り、うわべはおだやかに笑いながら、
「ごめんね、もう要らないわよ。」と言ってあたりを見廻し、この妹を殺して絹を奪おう、この腰の刀で旅人を傷つけた事は一度ならずある、ついでに妹を斬《き》って捨てても、罪は同じだ、あたしは何としても、晴衣を一枚つくるのだ、こんどに限らず、帯でも櫛でもせっかくの獲物をこんな本当の男みたいな妹と二人でわけるのは馬鹿らしい、むだな事だ、にくい邪魔、突き刺して絹を取り上げ、家へ帰ってお母さんに、きょうは手剛《てごわ》い旅人に逢《あ》い、可哀想《かわいそう》に妹は殺されましたと申し上げれば、それですむ事、そうだ、少しも早くと妹の油断を見すまし、刀の柄《つか》に手を掛けた、途端に、
「姉さん! こわい!」と妹は姉にしがみつき、
「な、なに?」と姉はうろたえて妹に問えば妹は夕闇《ゆうやみ》の谷底を指差し、見れば谷底は里人の墓地、いましも里の仏を火葬のさいちゅう、人焼く煙は異様に黒く、耳をすませば、ぱちぱちはぜる気味悪い音も聞えて、一陣の風はただならぬ匂《にお》いを吹き送り、さすがの女賊たちも全身|鳥肌《とりはだ》
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