と変な事まで口走り、婿の氏素性《うじすじょう》をろくに調べもせず、とにかくいま都で名高い髭そうろうの大尽だから間違い無しと軽率にひとり合点《がてん》して有頂天のうちにこの縁談をとりきめ、十七の娘は遠いあずまのそれも蝦夷《えぞ》の土地と聞く陸奥へ嫁《とつ》がなければならぬ身の因果を歎《なげ》き、生きた心地も無くただ泣きに泣いて駕籠《かご》に乗せられ、父親ひとりは浅間しく大はしゃぎで、あやうい腰つきで馬に乗り都のはずれまで見送り、ひたすら自分の今後の立身出世を胸中に思い描いてわくわくして、さらば、さらば、とわかれの挨拶《あいさつ》も上の空で言い、家へ帰って五日目に心臓|痲痺《まひ》[#「痲痺」は底本では「痳痺」]を起して頓死《とんし》したとやら、ひとの行末は知れぬもの。一方、十七の娘は、父のあわれな急死も知らず駕籠にゆられて東路《あずまじ》をくだり、花婿の髭をつくづく見ては言いようのない恐怖におそわれて泣き、手下の乱暴な東北言葉に胆《きも》をつぶして泣き、江戸を過ぎてようよう仙台ちかくなって春とはいえ未《ま》だ山には雪が残っているのを見て泣き、山賊たちをひどく手こずらせて、古巣の山寨《さんさい》にたどり着いた頃には、眼を泣きはらして猿《さる》の顔のようになり、手下の山賊たちは興覚めたが、統領はやさしくみずから看護して、その眼のなおった頃には娘も、統領に少しなついて落ちつき、東北言葉もだんだんわかるようになって、山賊の手下たちの無智《むち》な冗談に思わず微笑《ほほえ》み、やがて夫の悪い渡世を知るに及んで、ぎくりとしたものの、女三界に家なし、ここをのがれても都の空の方角さえ見当つかず、女はこうなると度胸がよい、ままよと観念して、夫には優しくされ手下の者たちには姐御《あねご》などと言われてかしずかれると、まんざら悪い気もせず、いつとはなしに悪にそまり、亭主《ていしゅ》のする事なす事なんでも馬鹿《ばか》らしく見えて仕様のない女房《にょうぼう》もあり、また、亭主の行為がいちいち素晴らしい英雄的なものに見えてたまらない女房もあり、いずれも悪妻、この京育ちの美女は後者に属しているらしく、夫の憎むべき所業も見馴《みな》れるに随《したが》い何だか勇しくたのもしく思われて来て、亭主が一仕事して帰るといそいそ足など洗ってやり、きょうの獲物は何、と笑って尋ね、旅人から奪って来た小袖《こそで》をひろげて、これは私には少し派手よ、こんどはも少し地味なのをたのむわ、と言ってけろりとして、手下どものむごい手柄話《てがらばなし》を眼を細めて聞いてよろこび、後には自分も草鞋《わらじ》をはいて夫について行き、平気で悪事の手伝いをして、いまは根からのあさましい女山賊になりさがり、顔は以前に変らず美しかったが眼にはいやな光りがあり、夫の山刀を井戸端《いどばた》にしゃがんで熱心に研《と》いでいる時の姿などには鬼女のような凄《すご》い気配が感ぜられた。やがてこの鬼女も身ごもり、生れたのは女の子で春枝と名づけられ、色白く唇《くちびる》小さく赤い、京風の美人、それから二年|経《た》って、またひとり女の子が生れ、お夏と呼ばれて、父に似て色浅黒く眼が吊《つ》り上ったきかぬ気の顔立ちの子で、この二人は自分の母が京の公卿の血を受けたひとだという事など知る筈もなく、氏より育ちとはまことに人間のたより無さ、生れ落ちたこの山奥が自分たちの親代々の故郷とのんきに合点して、鬼の子らしく荒々しく山坂を駈《か》け廻《まわ》って遊び、その遊びもままごとなどでは無く、ひとりは旅人、ひとりは山賊、おい待て、命が惜しいか金が惜しいかとひとりが言えば、ひとりは助けて! と叫んでけわしい崖《がけ》をするする降りて逃げるを、待て待て、と追ってつかまえ大笑いして、母親はこれを見て悲しがるわけでもなく、かえって薙刀《なぎなた》など与えて旅人をあやめる稽古《けいこ》をさせ、天を恐れぬ悪業、その行末もおそろしく、果せる哉《かな》、春枝十八お夏十六の冬に、父の山賊に天罰下り、雪崩《なだれ》の下敷になって五体の骨々|微塵《みじん》にくだけ、眼もあてられぬむごたらしい死にざまをして、母子なげく中にも、手下どもは悪人の本性をあらわして親分のしこたまためた金銀財宝諸道具食料ことごとく持ち去り、母子はたちまち雪深い山中で暮しに窮した。
「何でもないさ。」と勝気のお夏は威勢よく言って母と姉をはげまし、「いままで通り、旅人をやっつけようよ。」
「でも、」と妹にくらべて少しおとなしい姉の春枝は分別ありげに、「女ばかりじゃ、駄目よ。かえってあたしたちのほうで着物をはぎとられてしまうわよ。」
「弱虫、弱虫。男の身なりをして刀を持って行けばなんでもない。やいこら、とこんな工合いに男のひとみたいな太い声で呼びとめると、どんな旅人だって震え上るにきま
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