こいつを二つ三つくらわせたら、泣かぬ女はありますまい。泣かせるのが、果報だったら、わしはこれからいよいよ角力の稽古をはげんで、世界中の女を殴って泣かせて見せます。」
「何を言うのです。まるで話が、ちがいますよ。才兵衛、お前は十九だよ。お前のお父さんは、十九の時にはもう茶屋遊びでも何でも一とおり修行をすましていたのですよ。まあ、お前も、花見がてらに上方へのぼって、島原へでも行って遊んで、千両二千両使ったって、へるような財産でなし、気に入った女でもあったら身請《みうけ》して、どこか景色のいい土地にしゃれた家でも建て、その女のひとと、しばらくままごと遊びなんかして見るのもいいじゃないか。お前の好きな土地に、お前の気ままの立派なお屋敷をこしらえてあげましょう。そうして、あたしのほうから、米、油、味噌《みそ》、塩、醤油《しょうゆ》、薪炭《しんたん》、四季折々のお二人の着換え、何でもとどけて、お金だって、ほしいだけ送ってあげるし、その女のひと一人だけで淋《さび》しいならば、お妾《めかけ》を京からもう二、三人呼び奇せて、その他《ほか》、振袖《ふりそで》のわかい腰元三人、それから中居《なかい》、茶の間、御物《おもの》縫いの女、それから下働きのおさんどん二人、お小姓二人、小坊主《こぼうず》一人、あんま取の座頭一人、御酒の相手に歌うたいの伝右衛門《でんえもん》、御料理番一人、駕籠《かご》かき二人、御草履《おぞうり》取大小二人、手代一人、まあざっと、これくらいつけてあげるつもりですから、悪い事は言わない、まあ花見がてらに、――」と懸命に説けば、
「上方へは、いちど行ってみたいと思っていました。」と気軽に言うので、母はよろこび膝をすすめ、
「お前さえその気になってくれたら、あとはもう、立派なお屋敷をつくって、お妾でも腰元でも、あんま取の座頭でも、――」
「そんなのはつまらない。上方には黒獅子《くろじし》という強い大関がいるそうです。なんとかしてその黒獅子を土俵の砂に埋めて、――」
「ま、なんて情無い事を考えているのです。好きな女と立派なお屋敷に暮して、酒席のなぐさみには伝右衛門を、――」
「その屋敷には、土俵がありますか。」
母は泣き出した。
襖越《ふすまご》しに番頭、手代《てだい》たちが盗み聞きして、互いに顔を見合せて溜息《ためいき》をつき、
「おれならば、お内儀さまのおっしゃるとお
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