思っているのですが、或《ある》いは贋物《にせもの》かも知れません。とにかく佐兵衛に見せて、そこはあなた様も抜け目なく、相応の値段で売りつけてやって下さい。贋物であっても、出来は悪くない色紙のようですから、五十両と吹かけてみて下さい。売れましたら、観音像の代金と一緒に、お手数でも、こちらへすぐにお送り願います。このたびは、あなた様にもいろいろ御手数をかけるわけですが、御礼として縞《しま》の羽織を差上げたいと思います。それはいま九郎助が持っているのです。ちょっと粋《いき》な縞で、裏の絹もずいぶん上等のものです。九郎助は駕籠かきのくせに、おしゃれな男で、あの羽織をむやみに着たがりますので、私は一時借してやってそのままになっているのです。決してくれてやったのではありませんから、どうか九郎助から取り上げてあなた様がお召しになって下さい。あんな恩知らずの九郎助には、もっともっとこらしめを見せてやりたいと思います。かまいませんから、あれを九郎助から取上げてやって下さい。あなた様は色が白いから、きっとあの羽織はお似合いの事と思います。私は色が黒いのであの羽織は少しも似合いませんでした。墨染の衣だけでも似合うかと思いの他、私は肩幅が広いので弁慶のような荒法師の姿で、狼《おおかみ》に衣の例に漏れず、何もかも面白くなく、既に出家していながら、更にまた出家遁世したくなって何が何やらわからず、ただもう死ぬるばかり退屈で、
歎《なげ》きわび世をそむくべき方知らず、吉野の奥も住み憂《う》しと言へり
という歌の心、お察しねがいたく、実はこれとて私の作った歌ではなく、人の物もわが物もこの頃は差別がつかず、出家遁世して以来、ひどく私はすれました。このたびのまことに無分別の遁世、何卒《なにとぞ》あわれと思召し、富籤と観音像と、それから色紙の事お忘れなく、昔の遊び仲間の方々にもよろしくお伝え下され、陽春の頃には、いちど皆様そろって吉野へ御来駕《ごらいが》のほど、ひたすら御待ち申し上げます。頓首《とんしゅ》。
[#地から2字上げ](万《よろづ》の文反古《ふみほうぐ》、巻五の四、桜の吉野山難儀の冬)
底本:「お伽草紙」新潮文庫、新潮社
1972(昭和47)年3月21日発行
1991(平成3)年2月20日40刷改版
1999(平成11)年3月10日56刷
入力:aki
校正:久保あき
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