いも寄らず、そんなにお金も持って来ませんでしたので、そろそろ懐中も心細くなり、何度下山を思い立ったかわかりません。けれども、一旦《いったん》、濁世《じょくせ》を捨てた法師が、またのこのこ濁世の親御の家へ帰って泣いておわびをするなどは古今に例の無い事のようにも思われますし、これでも、私にはまだ少し恥を知る気持も意地もあり、また、ここを立ちのくにしても、里人への諸支払いがだいぶたまって居りますし、いま借りて使っている夜具や炊事道具を返すに当ってもまた金銭のややこしい問題が起るのではなかろうかと思えば、下山の決心もにぶります。と言えば、少していさいもいいけれども、実はもう一つ、とても私がいますぐ下山できないつらい理由があるのです。京の私の家のことし八十八歳になるばばさまが、大事のへそくりの百両を、二十年ほど前に小さい茶壺《ちゃつぼ》にいれて固く蓋《ふた》をして、庭の植込みの奥深く、三本ならびの杉《すぎ》の木の下に昔から屋敷に伝っているささやかなお稲荷《いなり》のお堂があって、そのお堂の縁の下にお盆くらいの大きさの平たい石があるのですが、その石の下にです、れいの茶壺を埋めて置いて、朝から日の暮れるまでに三度、夜寝る前に一度、日に都合四度ずつ竹の杖《つえ》をついて庭を見廻《みまわ》る振りをして、人知れず植込みの奥に眼《め》を光らせてはいって行き、その隠し場所の安泰をたしかめ、私がまだ五つ六つの時分は、ばばさまにたいへん可愛《かわい》がられてもいましたし、また私をほんの子供と思って気をゆるしていたのでございましょう、或る日、私を植込みの奥に連れて行き、その縁の下の石を指差して、あの下に百両あるぞ、ばばを大事にした者に半分、いやいや一割あげるぞ、と嗄《しわが》れた声で言いまして、私はそれ以来どうにもその石の下が気になってたまらず、二十年後あなた様たちに遊びを教えられて、たちまち金に窮して悪心起り、とうとう一夜、月の光をたよりに石の下を掘り起し、首尾よく茶壺を見つけて、その中から三十両ばかり無断で拝借して、またもとのように茶壺を埋め、上に石を載せて置き、ばばさまに見つかるかと、ひやひやしてしばらくは御飯ものどにとおらず、天を拝し地に伏してひたすら無事を念じ、ばばさまはやっぱりお年のせいか、あのように眼を光らせても石の下まで見抜く事は出来なかった様子で、毎日四度ずつ調べに行っても平気
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