ム。「おや、おや、きょうは、どういう風の吹きまわしか、紅唇《こうしん》、火を吐くの盛観を呈している。いつも此《こ》の調子でいてくれると、僕も張り合いがあって、うれしいのだが。」
 オフ。「すぐそんなに茶化してしまうので、なんにも言いたくなくなります。あたしは、まじめに申し上げているのよ。ハムレットさま。あたしは、きょうから、なんでも思っている事を、そのまま言ってしまうことにしたの。ハムレットさまだって褒めてくださると思うわ。いつも、あたしが愚図愚図ためらったり、言いかけてよしたりすると、ハムレットさまは、御機嫌がお悪くなって、お前は僕を信頼しないからいけない、愛情の打算が強すぎるから、そんなに、どもってしまうのだとお教えになりました。あたしは、此の二箇月間、まるで自信をなくしていたので、つい、めそめそして、言いたい事も言えずに溜息《ためいき》ばかりついていたのです。以前は、そんなでも無かったのですが、苦しい秘密を持つようになってから、めっきり駄目になりました。でも、きのう王妃さまからさまざま優しいお言葉をいただいて、すっかり元気になりました。からだの具合も、きのうから、別のひとのように、すっきりしてまいりましたし、もういまでは、ハムレットさまのお子さまを産んで、丈夫に育てるという希望だけで胸が一ぱいでございます。あたしは、いまは幸福です。とても、なんだか、うれしいの。これからは、昔のお転婆《てんば》なオフィリヤにかえって、誇りを高くもって、考えている事をなんでもぽんぽん言おうと思うの。ハムレットさま、あなたは少し詭弁家《きべんか》よ。ごめんなさい。だって、あなたのおっしゃる事は、みんな、なんだかお芝居みたいなんですもの。甘ったるいわ。ごめんなさい。あなたは、いつでも酔っぱらってるみたいだわ。ごめんなさい。しょってるわ。いやらしいわ。深刻癖というものじゃないかしら。あなたは、いつでも御自分を悲劇の主人公にしなければ気がすまないらしいのね。ごめんなさい。だって、そうなんですもの。王さまだって、また、あたしの父のポローニヤスだって、決してハムレットさまのおっしゃるような、そんな悪い、下劣な人じゃ無いわ。ハムレットさまが、ひとりでひがんで、すねて居られるものだから、王さまも、あたしの父も、また王妃さまも、とても弱っていらっしゃるのよ。それだけの事だと、あたしは思うの。このごろ、なんだか、いやな噂がお城にひろがっているようですけど、誰も本気に噂しているわけじゃなかったのよ。あたしのところの乳母や女中は、そんな芝居が外国で流行《はや》っているそうですね、面白く仕組まれた芝居ですね、なんてのんびり言チて居りますよ。まさか、此のデンマークの王さまと王妃さまの事だ等とは、ゆめにも思っていない様子でございます。みんな、のどかに王さまと王妃さまをお慕い申して居ります。それでいいのだと思うわ。本気に疑って、くるしんでいなさるのは此のエルシノア王城で、ハムレットさま、あなたぐらいのものなのよ。父がゆうべ、正義の心から朗読劇をやったそうですが、それはまた、どうした事でしょう。ちょっと、あたしにも、わかりません。きっと父は、興奮したのよ。とても興奮し易い父ですから。あたしには、父のする事を、とやかく詮議《せんぎ》立てする資格も無し、また女の子は、父たちのなさることを詮議立てしたって何もわからないのが当り前の事ですから、あたしは、はっきりとは言えませんけれど、でも、あたしは父を信じています。また、王さまをも信じています。王妃さまは、もとからあたしの尊敬の的でした。なんでも無いのよ。ハムレットさまひとりが、計略だの曲者だの、駈引《かけひ》きだのとおっしゃって、いかにも周囲に、悪い人ばかりうようよいるような事をおっしゃって、たいへん緊張して居られますが、滑稽《こっけい》だわ。ごめんなさい。だって、あなたは、敵もいないのに敵の影を御自分の空想でこしらえて、油断がならん、うっかりするとだまされる等と、深刻がっていらっしゃるのですもの。王さまだって、王妃さまだって、とってもハムレットさまを愛していらっしゃるのに、どうして、おわかりにならないのでしょう。悪いお方なんか、どこにもいないわ。ハムレットさま。あなただけが、悪いお方なのかも知れないわ。だって、みんな平和に、なごやかにお暮しなさっているところへ、あなたが、むずかしい理窟《りくつ》をおっしゃって、みなさんを攻撃して、くるしめて、そうしてこの世の中で、あなたの愛情だけが純粋で献身的で、――」
 ハム。「オフィリヤ、ちょっと待った。めそめそ泣かれるのも困るが、そんな自信ありげな気焔《きえん》を、調子づいてあげられても閉口だ。オフィリヤ、君は、きょう、どうかしてるぞ。君には、ちっともわかっていない。そうかなあ。いままで、そんな具合に僕を解釈していたのかなあ。残念だね。女ってのは、いくら言って聞かせても、駄目《だめ》なものだ。ちっとも、わかっていやしないじゃないか。僕は、甘いさ。あるいは、酔っぱらっているかも知れない。いやらしい。芝居臭い。それも、よかろう。そう見えるんだったら仕方が無い。けれども、僕は、絶対に、いい気になっているわけではないし、自分の愛情だけを純粋で献身的だと思いこみ、人を矢鱈に攻撃してくるしめているわけでも無い。むしろ、その逆だ。僕は、つまらない男なのだ。だらしのない男なのだ。僕は、それが恥ずかしくて、てんてこ舞いをしているのだ。自分のいたらなさ、悪徳を、いやになるほど自分で知っているので、身の置きどころが無いのだ。僕は、絶対に詭弁家ではない。僕は、リアリストだ。なんでも、みな、正確に知っている。自分の馬鹿さ加減も、見っともなさも、全部、正確に知っている。そればかりでは無い。僕は、ひとのうしろ暗さに対しても敏感だ。ひとの秘密を嗅《か》ぎつけるのが早いのだ。これは下劣な習性だ。悪徳が悪徳を発見するという諺《ことわざ》もあるけれど、まさしくそのとおり、ひとの悪徳を素早く指摘できるのは、その悪徳と同じ悪徳を自分も持っているからだ。自分が不義をはたらいている時は、ひとの不義にも敏感だ。誇りになるどころか、実に恥ずべき嗅覚《きゅうかく》だ。僕は、不幸にして、そのいやらしい嗅覚を持っている。僕の疑惑は、いまだ一度も、はずれた事が無いのだ。オフィリヤ、僕は不仕合せな子なんだよ。君には、わかるまい。僕には高邁《こうまい》なところが何も無い。のらくらの、臆病者《おくびょうもの》の、そうして過度の感覚の氾濫《はんらん》だけだ。こんな子は、これから一体、どうして生きて行ったらいいのだ。オフィリヤ、僕が叔父さんや、お母さんや、また、ポローニヤスの悪口を言うのは、何もあの人たちを軽蔑し、嫌悪《けんお》しているからでは無いのだ。僕には、そんな資格が無い。僕は、うらめしいのだ。いつも、あの人たちに裏切られ、捨てられるのが、うらめしいのだ。僕は、あの人たちを信頼し、心の隅《すみ》では尊敬さえしているのに、あの人たちはAへんに僕を警戒し、薄汚いものにでも触るような、おっかなびっくりの苦笑の態度で僕に接して、ああ、あの人たちは、そんなに上品な人たちばかりなのかねえ、いつでも見事に僕を裏切る。打ち明けて僕に相談してくれた事が一度も無い。大声あげて、僕をどやしつけてくれた事もかつて無い。どうして僕を、そんなに、いやがるのだろう。僕は、いつでもあの人たちを愛している。愛して、愛して、愛している。いつでも命をあげるのだ。けれども、あの人たちは僕を避けて、かげでこそこそ僕を批判し、こまったものさ、お坊ちゃんには、等と溜息をついて上品ぶっていやがるのだ。僕には、ちゃんとわかっている。僕は、ひがんでなんかいやしない。僕は、ただ正確なところを知っているだけだ。オフィリヤ、少しは、わかったか。君まで、おとなの仲間入りをして、僕に何やら忠告めいた事を言うとは、情ないぞ。孤独を知りたかったら恋愛せよ、と言った哲学者があったけど、本当だなあ。ああ、僕は、愛情に飢えている。素朴《そぼく》な愛の言葉が欲しい。ハムレット、お前を好きだ! と大声で、きっぱり言ってくれる人がないものか。」
 オフ。「いいえ。オフィリヤも、こんどは、なかなか負けませぬ。ハムレットさま、あなたは本当に言いのがれが、お上手です。ああ言えば、こうおっしゃる。しょっていると申し上げると、こんどは逆に、僕ほど、みじめな生きかたをしている男は無いとおっしゃる。本当に、御自分の悪いところが、そんなにはっきり、おわかりなら、ただ、御自分を嘲《あざけ》って、やっつけてばかりいないで、いっそ黙ってその悪いところをお直しになるように努められたらどうかしら。ただ御自分を嘲笑《ちょうしょう》なさっていらっしゃるばかりでは、意味ないわ。ごめんなさい。きっと、あなたは、ひどい見栄坊《みえぼう》なのよ。ほんとうに、困ってしまいます。ハムレットさま、しっかりなさいませ。愛の言葉が欲しい等と、女の子のような甘い事も、これからは、おっしゃらないようにして下さい。みんな、あなたを愛しています。あなたは、少し慾《よく》ばりなのです。ごめんなさい。だって人は、本当に愛して居れば、かえって愛の言葉など、白々しくて言いたくなくなるものでございます。愛している人には、愛しているのだという誇りが少しずつあるものです。黙っていても、いつかは、わかってくれるだろうという、つつましい誇りを持っているものです。それを、あなたは、そのわずかな誇りを踏み躙《にじ》って、無理矢理、口を引き裂いても愛の大声を叫ばせようとしているのです。愛しているのは、恥ずかしい事です。また、愛されているのも何だか、きまりの悪い事です。だから、どんなに深く愛し合っていても、なかなか、好きだとは言えないものです。それを無理にも叫ばせようとするのは残酷です。わがままです。ハムレットさま、あたしの愛が信ぜられなくとも、せめて王妃さまの御愛情だけでも信じてあげて下さいませ。王妃さまは、お気の毒です。ハムレットさまおひとりを、たよりにしていらっしゃいます。きのうお庭で王妃さまは、あたしの手をお取りになって、ひどくお泣きになりました。」
 ハム。「意外だね。君から愛の哲理を拝聴しようとは、意外だね。君は、いつから、そんな物知りになったのですか。いい加減に、やめるがよい。小理窟を覚えた女は、必ず男に捨てられますよ。パウロが言っていますよ。われ、女の、教うる事と、男の上に権を執る事を許さず、ただ静かにすべし、とね。そうして、女もし慎みと信仰と愛と潔《きよ》きとに居らば、子を生む事に因《よ》りて救わるべし、と言い結んである。人にものを教えようと思ったり、男の頭を押えようとしないで、ただ、静かに、生れる子供の事を考えていなさい、という意味だ。いい子だから、二度と再び、変な理窟は言わないでくれ。世界が暗くなってしまう。察するところ、お母さんから悪智慧《わるぢえ》を附けられて、妙に自信を得たのだろう。お母さんは、あれで、なかなか理論家だからね。いまに、パウロの罰を受けるぞ。こんど君が、お母さんに逢《あ》ったら、こう言ってやってくれ。言葉の無い愛情なんて、昔から一つも実例が無かった。本当に愛しているのだから黙っているというのは、たいへん頑固《がんこ》なひとりよがりだ。好きと口に出して言う事は、恥ずかしい。それは誰だって恥ずかしい。けれども、その恥ずかしさに眼をつぶって、怒濤《どとう》に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛情の実体があるのだ。黙って居られるのは、結局、愛情が薄いからだ。エゴイズムだ。どこかに打算があるのだ。あとあとの責任に、おびえているのだ。そんなものが愛情と言えるか。てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。怒濤へ飛び込むのが、こわいのだ。本当に愛しているならば、無意識に愛の言葉も出るものだ。どもりながらでもよい。たった一言でもよい。せっぱつまった言葉が、出るものだ。猫《ねこ》だって、鳩《はと》だって、鳴いてるじゃないか。言葉のない愛情
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