た事でございましょう。自ら墓穴を掘りました。」
王。「ああ、わしは眠っていました。たくみな台詞《せりふ》まわしに、つい、うっとりしたのです。ポローニヤス、少し未練がましくないかね。いまさら愚痴を並べてみても、はじまらぬ。おさがりなさい。わしの心は、きまっています。」
ポロ。「わるいお方だ。王さま、あなたは、わるいお方です。わしは、あなたを憎みます。申しましょうか。あの事を、わしは知らないと思っているのですか。わしは、見たのです。此の眼で、ちゃんと見たのです。二箇月前、あれを、一目《ひとめ》見たばかりに、それ以来わしは不幸つづきなのだ。王さまは、わしに見られた事に気附いて、それからわしを失脚させようと鵜の目、鷹の目になられたのです。わしは、王さまから嫌《きら》われてしまった。そのうち必ず、わしは窮地におとされて、此の王城から追い払われるだろうとわしは覚悟をしていました。ああ、見なければよかった。何も、知らなければよかった。正義! 先刻《さっき》までは見せかけだけの正義の士であったが、もういまは、腹の底から、わしは正義のために叫びたくなりました。」
王。「さがれ! 聞き捨てならぬ事を言う。自分の過失を許してもらいたいばかりに、何やら脅迫がましい事まで口走る。不潔な老いぼれだ。さがれ!」
ポロ。「いや、さがらぬ。わしは見たのだ。ふたつき前の、あの日、忘れもせぬ、朝は凍えるように寒かったが、ひる少しまえから陽《ひ》がさして、ぽかぽか暖くなって先王は、お庭に、お出ましなさったが、その時だ、その時。」
王。「乱心したな! 処罰は、ただいま与えてやる。」
ポロ。「処罰、いただきましょう。わしは見たのだ。見たから、処罰をもらうのだ。あ! 畜生! 短剣の処罰とは!」
王。「ゆるせ。殺すつもりは無かったが、つい、鞘《さや》が走って、突き刺した。さきほどからの不埒の雑言、これも自分の娘|可愛《かわい》さのあまりに逆上したのだ、不憫《ふびん》の老人と思い怺《こら》えて聞いていたのだが、いよいよ図に乗り、ついには全く気が狂ったか、奇怪な恐ろしい事までわめき散らすので、前後のわきまえも無く短剣引き抜き、突き刺した。ゆるせ。君の言葉も過ぎたのだ。オフィリヤの事なら心配するな。ポローニヤス、わしの言う事が、わかるか。わしの顔が、わかるか。」
ポロ。「正義のためだ。そうだ、正義のためだ。オフィリヤ、鎧《よろい》を出してくれ。お父さんは、いけないお父さんだったねえ。」
王。「涙。わしのような者の眼からでも、こんなに涙が湧いて出る。この涙で、わしの罪障が洗われてしまうとよいのだが。ポローニヤス、君は一体なにを見たのだ。君の疑うのも、無理がないのだ。あっ! 誰だ! そこに立っているのは誰だ! 逃げるな。待て! おお、ガーツルード。」
九 城の大広間
ハムレット。オフィリヤ。
ハム。「そうか。ポローニヤスが、昨夜から姿を見せぬか。それは少し、へんだね。でも、まあ、たいした事は無かろう。大人には、おとなの世界があるんだ。見え透いた権謀術数を、見破られていると知りながらも、仔細《しさい》らしい顔つきをして、あっちでひそひそ、こっちでこそこそ、深く首肯《うなず》き合ったり、目くばせしたり、なあに、たいした事でも無い癖に、つまりその策略の身振りが楽しくて、こたえられないばかりに、矢鱈《やたら》に集っては打ち合せとかいう愚劣な芝居をしたがるものさ。叔父さんも、ポローニヤスも、こせこせした権謀術数を、なかなかお好きなようだから、二人でゆうべ打ち合せて、また何か小細工をはじめているのかも知れぬ。ゆうべの朗読劇にしたって、あれにもポローニヤスの深慮遠謀があったのさ。そうでも無ければ、あの人は気が狂ったのだ。何か、抜け目の無い、小ざかしい魂胆があったのさ。僕には、たいてい見当が附いている。あの人たちは、どうして、なかなかの曲者《くせもの》だよ。もっとも、曲者というものは、たいてい浅墓《あさはか》で興覚めな、けち臭い打算ばっかりやっている哀れな、賤《いや》しい存在だが、それを見破ったからとて、こちらでただ軽蔑《けいべつ》して、のほほん顔でいたならば、ひどい目に遭う。うっかりしていると、してやられる。黙殺したい、いや、蔑棄したい程、いやな存在だが、油断がならん。僕は、はじめ、ポローニヤスの朗読劇を、娘可愛さのあまり逆上して、王や王妃に、いや味を言うための計略、とばかり思っていたが、ゆうべまた、よく考えてみたら、どうもそればかりでも無いらしい。あの人たちのする事は、一から十まで心理の駈引《かけひ》き、巧妙卑劣の詐欺《さぎ》なのだから、いやになる。僕は、ゆうべ、やっと判《わか》って、判ったら、ぎょっとした。あの人たちは、おそろしい。一つも信用出来ない。此の世の中には、やっぱり悪い人というものがいたのだ。僕は、このとしになって、やっと、世の中に悪人というものが本当にいるのを発見した。手柄《てがら》にもなるまい。あたりまえの発見だ。僕は、よっぽど頭が悪い。おめでたい。いまごろ、やっと、そんな当然の事を発見して、おどろいている始末なのだから、たいしたものだよ。底の知れない、めでたい野郎だ。ゆうべの朗読劇は、あれは、もともと叔父さんとポローニヤスと、ひそかに、しめし合せてはじめた事だ。それは、たしかだ。間違っていた轣Aこの眼《め》をくり抜いて差し上げてもよい。もう僕は、だまされない。叔父さんは、僕たちの疑惑の眼を避けたいばかりに、ポローニヤスと相談して、僕たちを瞞着《まんちゃく》する目的で、あんな不愉快千万の仕組みを案出したのだ。馬鹿にしていやがる。僕たちは、完全に、あの人たちの笛に踊らされたというわけだ。つまり、叔父さんは、自分のうしろ暗さを、ごまかそうとして先手を打ち、ポローニヤスに命じて、僕たちを使嗾《しそう》させ、あんな愚劣な朗読劇なんかで王をためさせて、それでも王は平気だから僕たちはがっかりして、あの恐ろしい疑いもおのずから僕たちの胸から消え去り、やがては城中の人たちにも、僕たちと同じ気持が、それからそれと伝って、すべての不吉な囁《ささや》きは消滅するようになるだろうという、浅墓な魂胆があったのだ。僕の見当には、狂いが無い。叔父さんとポローニヤスは、はじめから同じ穴の狢《むじな》だったのさ。どうして僕は、こんなわかり切った事に気がつかなかったのだろう。どうも、あの人たちのする事は、あくどくて、いけない。そんなにまでして僕たちを、だまさなければいけないのか。僕たちのほうでは、あの人たちを、たのみにもしているし、親しさも感じているし、尊敬さえもしているのだから、いつでも気をゆるして微笑《ほほえ》みかけているのに、あの人たちは、決して僕たちに打ち解けてくれず、絶えず警戒して何かと策略ばかりしているのだから、悲しくなる。なんという事だ。二人でしめし合せて、一人は検事に、一人は被告になっていい加減の嘘の言い争いをして見せて、ほどよいところで証拠不充分、無罪放免さ。僕とホレーショーは、その贋《にせ》の検事に、深刻な顔つきをしてお手伝いをして、いい気持でいたんだから、これは後世までの笑い草にもなるだろう。光栄極まる。けれども、あの人たちの策略は、たしかに一応は成功したのだ。ホレーショーは、もう、これで王さまも晴天白日、ハムレット王家万万歳、僕たちは、たとい一時期でもあの噂《うわさ》を信じ、王さまを疑っていたとは恥ずかしい、あんな失礼な朗読劇なんかをやって、後でお叱《しか》りがなければいいが等《など》と言って、全く叔父さんを信用し、かえって自分たちの疑惑に恐縮していたし、城中の人たちも、そろそろ叔父さんを尊敬し直して来たようだ。人の心は、実にたわいが無いものだ。風に吹かれる葦《あし》みたいに、右にでも左にでも、たやすく靡《なび》く。僕だって、あの朗読劇の直後には、ポローニヤスが逆上し錯乱しているものとばかり思って、叔父さんが気の毒でたまらず王の居間へ行ってお詫《わ》びしようかとさえ思ったものだが、あとで落ち附いて考えてみると、冗談じゃない、僕たちは、まんまと一杯くわされたのだという事がわかって、ぞっとした。何か、在るのだ。あの不吉な噂は、嘘でない! 叔父さんとポローニヤスは、悪の一味だ。いまは二人で、腹を合せて悪の露見を必死になって防いでいる。けれども僕には、わかるんだ。僕の眼は、ごまかせない。もう、こうなれば、僕も覚悟をきめなければならぬ。あの人たちは、悪い人だ。ポローニヤスだって、はじめから、何もかも知っていたのだ。それを、正義だの、青年の仲間だのと言って、僕たちを言いくるめて、いい加減に踊らせたのだから天晴《あっぱれ》れな伎倆《ぎりょう》だ。あの人が正義の仲間だったら、天国は満員の鮨詰《すしづ》めで、地獄のほうは、がらあきだ。いや、失敬。つい興奮し過ぎて、ポローニヤスが君のお父さんだという事を忘れていました。でも僕は、ことさらに君の父ひとりを悪く言っているんじゃないからね、叔父さんだって同じ事さ、僕は世の中のおとな一般に就《つ》いて怒っているのだ。そこは誤解のないように。おや、泣いているね。どうしたのです。お父さんの姿が見えないので、心細いというわけか。やっぱり心配なのかね。大丈夫ですよ。いまごろは、王さまの内密の御命令で、いそがしい仕事に没頭しているに違いない。どんな仕事だか、それは僕にもわからぬが、どうせ、ろくな事でない。」
オフ。「泣いてなんかいないわよ。眼にごみが、はいったので、ハンケチでこすっていたのよ。ほら、もう、ごみがとれました。泣いてなんかいないでしょう? ハムレットさまは、いつでも、あたしの気持を、へんに大袈裟《おおげさ》に察して下さるので、あたしは時々、噴き出したくなる事があるの。あたしが、ただうっとりと夕焼けを眺《なが》めて、綺麗《きれい》だなあと思っているのに、ハムレットさまは、あたしの肩にそっとお手を置かれて、わかるよ、くるしいだろうねえ、けれども苦しいのは君だけじゃない、夕焼けの悲しさは、僕にだってよくわかる、けれども、怺えて生きて行こう、もうしばらく、僕ひとりの為にだけでも生きていておくれ、いっそ死にたいという思いを抱いて、それでも忍んで生きている人は、この世に何万人、何十万人もいるのだよ、なんて、まるであたしが、死ぬ事でも考えているかのように、ものものしい事をおっしゃるので、あたしは可笑《おか》しくて、くるしくなります。あたしには、いま、悲しい事なんか一つもありませんわ。いつも、あんたは、へんにお察しがよすぎて、ひとりで大騒ぎをなさるので、あたしは、まごついてしまいます。女なんて、そんなに、いつも深い事を考えているものではございません。ぼんやり生きているものです。父がゆうべから姿を見せぬので、少しは心配でございますが、でも、あたしは、父を信じて居《お》ります。父は、ハムレットさまのおっしゃるような、そんな悪い人ではございません。あなたは、気まぐれですから、きょうは、うんと悪くおっしゃっても、また明日は、ひどくお褒めになる事もございますので、あたしは、ハムレットさまのお言葉は、あまり気にかけない事にしているのですが、でも、ただいまのように、滅茶滅茶に父をお疑いになって、こわい事をおっしゃると、あたしだって泣きたくなります。父は、気の弱い人です。とても興奮し易《やす》いのです。ゆうべの朗読劇とやらは、あたしはこんなからだですから御遠慮して、拝見しませんでしたけれど、もし父が正義のためだと言ってはじめたものなら、きっと、そのとおり、それは、父の正義心から出た催し事だと思います。父は小さい冗談のような嘘《うそ》は、しょっちゅう言って、あたしたちをだましますが、決して大きな、おそろしい嘘は言いません。その点は、まじめな人です。潔癖です。責任感も強い人です。きのうは、きっと父が、ハムレットさまたちの情熱に感激して前繧フ弁《わきま》えも無く、朗読劇なんかをはじめたのだろうと思います。父を、もう少し信頼してやって下さいませ。」
ハ
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