王に同情の集るように仕組んだものでございますが、果して、もうハムレットさまも、ホレーショーも、いまでは、わしが正義、正義と連呼して熱狂する有様に閉口し、王さまの弁護をさえ言い出している始末でございます。この風潮が、城中の奥から起って、やがて、ざわざわ四方に流れていって、噂の火焔《かえん》を全部消しとめてくれるのも、遠い将来ではございますまい。すべてが、うまく行ったようです。噂というものは、こちらで、もみ消そうとするとかえって拡《ひろ》がり、こちらから逆に大いに扇《あお》いでやると興覚めして自然と消えてしまうものでございます。わしだって、いいとしをして、若い人たちにまじって、やれ正義だの、理想だのと歯の浮くような気障《きざ》な事を言って、とうとう、あの花嫁の役まで演じなければならなくなり、ずいぶんつらい思いをしました。いま考えても、冷汗《ひやあせ》が湧《わ》きます。微衷をお汲《く》み取り願い上げます。」
王。「よく言った。見事な申し開きでありました。けれども、ポローニヤス、わしは子供ではありません。そんな、馬鹿げた弁解を、どうして信じる事が出来ましょう。信じたくても、馬鹿らしくて、つい失笑してしまいます。噂の火の手を消すために、逆に大いに扇いだ、なんて、そんな、馬鹿な、子供だましの言い繕いは、ハムレットあたりに聞かせてあげると、或いは感服させる事が出来るかも知れんが、わしには、ただ滑稽《こっけい》に聞えますよ。たいへんな忠臣も、あったものだ。ポローニヤス、もう何も言うな! ばからしくて聞いて居られぬ。わしから言ってあげます。君は、ガーツルードに、昔から或る特種な感情を抱いて居った筈でした。この度、先王が急になくなって、ガーツルードが悲嘆の涙にくれていた時、君の慰めの言葉には、異様な真情がこもっていたので、わしには、はっきりわかったのです。不埒《ふらち》なやつだ。あわれな男だ、とその時から、わしは君を、ひそかに警戒していたのです。ポローニヤス、君は、ご自分では気が附かず、ただもう、いらいらして、オフィリヤの失態に極度に恐縮してみたり、かと思うと唐突に、正義だの潔癖だのと言い出して子供たちのお先棒をかついで、わしたちに当り散らしたり、または、遽《にわ》かに忠臣を気取ってみたり、このたびのオフィリヤの事件を転機として、しどろもどろに乱れていますが、それは君のきょうまで堪えに堪えて来た或る種の感情が、いま頗る滑稽な形で爆発したというだけの事です。君は、ご自分では気がつくまい。ただもう、いらいらして、老いのかんしゃく玉を誰かれの区別なくぶっつけてやりたいような気持なのでしょうが、ポローニヤス、その気持は、昔から或る名前で呼ばれて、ちゃんと規定されてあります。さっきの朗読劇でハムレットの読み上げた言葉の中にもありましたね。気がつきましたか。嫉妬《しっと》、と呼ばれているようですね。」
ポロ。「ぷ! 自惚《うぬぼ》れもたいがいになさいまし。恋ゆえ人は、盲目にもなるようです。王さまこそ、どうかなさって居られます。ご自分が恋していらっしゃると、人も皆、恋しているもののように見えるらしい。とにかく、その、嫉妬とやらいうお言葉だけは、お返し申し上げます。ポローニヤスは、男やもめの生活こそ永く致してまいりましたが、不面目の色沙汰《いろざた》ばかりは致しませぬ。王さまこそ、へんな嫉妬をなさって居られる。本当に、王さまの只今《ただいま》の御心情こそ、嫉妬とお呼びして然《しか》るべきものと存じます。永い間の秘めたる思いが先方にとどいて、王さまも、お喜びなさって居られるのが当然のところ、こんな、わしみたいな野暮ったい老人にまで嫉妬なさるとは、さては、お内の首尾があまり上乗でないと、ポローニヤス拝察つかまつりますが、いかがなものでありましょう。」
王。「だまれ! ポローニヤス、気が狂ったか。誰に向って言っているのだ。娘の失態から、もはや、破れかぶれになっているものと見える。いまの無礼の雑言《ぞうごん》だけでも充分に、免職、入牢《にゅうろう》の罪に価《あた》いします。けがらわしい下賤《げせん》の臆測は、わしの最も憎むところのものだ。ポローニヤス、建設は永く、崩壊は一瞬だね。君の三十年間の忠勤も、今宵《こよい》の無礼で、あとかたも無く消失した。はかないものだね。人の運命なんて、一寸《いっすん》さきも予測出来ないものだね。どんな事になるものか、まるっきり、わからない。宿命を、意志でもって左右できると、わしは之《これ》まで信じていたが、やっぱり、どこかに神のお思召《ぼしめ》しというものもあるらしい。ポローニヤス。わしは、ついさきまで君を、ゆるして上げるつもりで居りました。オフィリヤの事も、わしは最悪の場合を覚悟していたのです。ハムレットが、真実、オフィリヤにまいっていて、わしたちの忠告に耳を傾けてくれそうも無い時には、仕方がありません、イギリスの姫の事は断念して、オフィリヤとの結婚を、ゆるしてあげるつもりでした。王妃は、もはや、オフィリヤの味方になっています。王妃は、きょうの夕刻このわしに、泣いて跪《ひざまず》いてたのみました。きょう迄《まで》わしを冷笑して来たガーツルードが、はじめて誇りを捨ててたのみました。わしとしても、覚悟せざるを得なかった。イギリスから姫を迎える事は、重大な政策の一つではあったが、わが家を不和にして迄、それを敢行する勇気は、わしには無いのだ。わしは、弱い! 良い政治家ではないようだ。デンマーク国の運命よりも、一家の平和を愛している。よい夫、よい父にさえなれたら、それで満足なのです。わしには、国王の資格が無いのかも知れぬ。わしは君たちを、ゆるしてやろうと思っていました。みんな、弱い者同志だ。助け合って、これからも仲良くやって行こうと覚悟をきめた矢先に、ポローニヤス、君はなんという馬鹿な男だろう。ひとりで、ひがんで、君たち一家が、もう没落するものとばかり思い込み、自暴自棄になってしまって、王妃には、かなわぬ恋の意趣返し、つまらぬ朗読劇などで、あてこすりを言い、また、此《こ》のわしには、はじめは忠臣の苦肉の策だ等と言いくるめようとして、見破られると今度は居直って、無礼千万の恐喝《きょうかつ》めいた悪口雑言をわめき立てる。ポローニヤス、わしは、烽、君たちを許すのが、いやになった。君は、おろかだ。見え透いている。わしは、人間の悪《あく》を許す事は出来ますが、人間のおろかさは、許す事が出来ない。愚鈍は、最大の罪悪だ。ポローニヤス、此度は、職を辞するくらいでは、済みませんよ。わかっているでしょうね。」
ポロ「嘘《うそ》だ! 嘘だ。王さまの、おっしゃる事は、みな嘘だ。ハムレットさまとオフィリヤとの結婚を、ゆるす気でいらっしゃったなんて、嘘も嘘、大嘘だ。お弱い? よい政治家ではない? デンマーク国よりも、一家の平和のほうを愛していらっしゃる? 何もかも嘘だ。王さまほどのお強い、卓抜の手腕をお持ちの政治家は、欧洲《おうしゅう》にも数が少うございます。ポローニヤスは、かねてより、ひそかに舌を巻いて居ります。王さま、おかくしになってはいけません。此の部屋には、王さまと、ポローニヤスと二人きり、他《ほか》には誰も居りません。時刻も、もはや丑満時《うしみつどき》です。城内の者は、もとより、軒端《のきば》に宿る小鳥たち、天井裏に巣くう鼠《ねずみ》、のこらずぐっすり眠って居ります。聞いている者は、誰も無い。さあ、おっしゃって下さい。ポローニヤスは何もかも、よく存じ上げて居るのです。王さまは、此の二箇月間、ポローニヤスの失脚の機会を、ひそかにねらって居られた筈です。」
王。「つまらぬ※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]語《うわごと》ばかり言っている。丑満時が、どうしたというのです。恥ずかしげもなく、芝居がかった形容詞を並べたて、いったい、何をそんなに、いきまいているのですか? みっともない。ポローニヤス、もう、おさがりなさい。追って、申し渡す事があります。」
ポロ。「いますぐ、お沙汰を承りましょう。ポローニヤスは、覚悟をしています。とても、のがれられぬと、あきらめて居ります。此の二箇月間、わしは王さまに、つけねらわれて居りました。何か失態は無いものかと鵜《う》の目、鷹《たか》の目で、さぐられていたのです。わしはそれを知っていたので、何事も、王さまの御意向にさからわぬよう充分に気をつけて、きのう迄は、どうやら大過なく勤めて来たつもりで居りました。わが子のレヤチーズを、フランスへ遊学にやったのも、一つには、王さまの恐しい穿鑿《せんさく》の眼から、のがれさせてやる為《ため》でもありました。わしに失態が無くとも、レヤチーズが若い粗暴の振舞いから何かしくじりを、しでかさぬものでもない。レヤチーズに多少の落度《おちど》でもあったなら、待っていたとばかりに王さまは、わしの一家を罰して葬《ほうむ》り去るのは、火を見るより明かな事ゆえ、わしは万全を期してレヤチーズをフランスへ逃がしてやり、やれ安心と思うまもなく、意外、残念、わしの一ばん信頼していたオフィリヤが、とんでも無い間違いをやらかしているのを、きのう知って、足もとの土が、ざあっと崩れて、もう駄目《だめ》だと観念いたしました。いまは、せめてオフィリヤの幸福だけでもと、藁《わら》一すじに縋《すが》る気持で、けさほどハムレットさまに御相談申し上げたところ、失礼ながらハムレットさまは未だお若く、黒雲がもくもく湧き立ったとか、乱雲が覆《おお》いかぶさったとか、とりとめのない事を口走るばかりで一向に、たよりにも何もなりませぬ。よくおたずねしてみたら、ハムレットさまは只今、オフィリヤの事よりも、先王の死因に就いてのあの恐ろしい噂の事ばかり気にして居られて、必ず噂の根元《こんげん》を突きとめてみたい、と意気込んでおっしゃるような始末なので、こんな無分別なお若い人たちのなさる事を黙って傍観していると、藪《やぶ》から蛇《へび》みたいな、たいへんな結果が惹起《じゃっき》するかも知れぬ、ここはポローニヤス、一世一代の策略、または忠誠の置土産、躊躇《ちゅうちょ》せずに若い人たちの疑惑を支持し、まっさき駈《か》けて、正義を叫び、あのような甘ったるい朗読劇を提唱し、若い人たちのほうで呆《あき》れて、興覚めするように仕組んだのだという事は、まえにも申し上げましたが、王さまは、てんで信じて下さいませんでした。わしの心の奥隅《おくすみ》には、やはりオフィリヤが「じらしく、なんとかして、あの子だけでも仕合せになれるように祈っているところもあったのでございましょう。いやな疑惑を一刻も早く、ハムレットさまのお心から追い払ってあげて、そうしてあとはオフィリヤの事ばかりを考えて下さるよう、全力を挙げてオフィリヤの為にたたかって下さるよう、そのような、オフィリヤの為にもよかれ、と思って仕組んだところも無いわけではなかった。けれども、決してそればかりでは、ございません。王さま、お信じ下さい! 人間には、よい事をしたいという本能があります。ひとに感謝をされたいと思って生きているものです。ポローニヤスは、きょう一日、王さまのため、王妃さまのため、ハムレットさまのため、忠誠の立派な置土産をしたつもりで居ります。お褒《ほ》めにあずかって当然のところ、おろかな言い繕いだの、破れかぶれだのおっしゃって嘲笑《ちょうしょう》なされ、はては、嫉妬なぞと思いも掛けぬ濡衣《ぬれぎぬ》を着せようとなさるので、ポローニヤスもつい我慢ならず、失礼な雑言を口走りました。ポローニヤスは、もはや観念して居ります。王さまは此の二箇月間、ポローニヤスがこのような窮地に落ちいるのを、待ちに待って居られたのです。さぞ、本懐でございましょう。ポローニヤスは、なるほど馬鹿でございます。デンマーク一ばんの、おろか者でございます。どうせこんな結果になるのが、はじめからわかっていたのに、忠誠の置土産などと要らざる義理立てをしたばかりに、かえって不利な立場に押し込まれました。御処罰も、数段と重くなっ
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