花聟でなければ釣合《つりあい》がとれません。では、おさきに。」
王。「まあ、お待ちなさい。ハムレット、もう此の芝居は、すんだのですか?」
ハム。「ああ、すみました。もっと、つづきもあるんですけど、どうだっていいんです。もうよしましょう。芝居を演ずるのが、真の目的ではなかったのですから。さあ、みなさん、お帰り下さい。どうも今夜は、お退屈さまでした。」
王。「そんなところだろうと思っていました。さあ、ガーツルード、それでは、わしも一緒に失礼しましょう。いや、なかなか面白かった。ホレーショー、ウイッタンバーグ仕込みの名調子は、どもりどもり言うところに特色があるようですね。」
ホレ。「いやしい声を、お耳にいれました。どうも、此の朗読劇に於《おい》ては、僕は少し役不足でありました。」
王。「ポローニヤスは、あとでちょっと、わしの居間に。では、失礼。」
ポローニヤス。ハムレット。ホレーショー。
ポロ。「一筋縄《ひとすじなわ》では、行かぬわい。」
ホレ。「なにほどの事も、無かったようですねえ。」
ハム。「当り前さ。王妃は怒り、王は笑った。それだけの事がわかったとて、それが、何の鍵《かぎ》になるのだ。ポローニヤス、あなたは、馬鹿だよ。オフィリヤ可愛《かわい》さに、少し、やきがまわったようですね。わしとお前だけは、雨風にたたかれながら、飛び廻り、泣き叫び、駈けめぐる!」
ポロ。「なに、事件は、これから急転直下です。まあ、見ていて下さい。」
八 王の居間
王。ポローニヤス。
王。「裏切りましたね、ポローニヤス。子供たちを、そそのかして、あんな愚にも附かぬ朗読劇なんかをはじめて、いったい、どうしたのです。気が、へんになったんじゃないですか? 自重して下さい。わしには、たいていわかっています。君は、あんなふざけた事をしてわしたちを、おどかし、自分の娘の失態を、容赦させようとたくらんでいるのでしょう? ポローニヤス、やっぱり、あなたも親馬鹿ですね。なぜ直接に、わしに相談しないのですか。うらみがあるなら、からりとそのまま打ち明けてみたらいいのだ。君は、不正直です。陰険です。それも、つまらぬ小細工ばかり弄《ろう》して、男らしい乾坤一擲《けんこんいってき》の大陰謀などは、まるで出来ない。ポローニヤス、少しは恥ずかしく思いなさい。あんな、喙《くちばし》の青い、ハムレットだのホレーショーだのと一緒になって、歯の浮くような、きざな文句を読みあげて、いったい君は、どうしたのです。なにが朗読劇だ。遠い向うの、遠い向うの、とおちょぼ口して二度くりかえして読みあげた時には、わしは、全身、鳥肌《とりはだ》になりました。ひどかったねえ。見ているほうが恥ずかしく、わしは涙が出ました。君は、もとから神経が繊細で、それはまた君の美点でもあり、四方八方に、こまかく気をくばってくれて、遠い将来の事まで何かと心配し、わしに進言してくれるので、わしは大変たすかり、君でなくてはならぬと、心から感謝し、たのもしくも思っていたのですが、それが同時に君の欠点でもあって、豪放|磊落《らいらく》の気風に乏しく、物事にこせこせして、愚痴っぽく、思っていることをそのまま言わず、へんに紳士ふうに言い繕う癖があります。詩人肌とでもいうのでしょうかね。どうも陰気でいけません。胸の中に、いつも、うらみを抱いているように見えるものですから、城中の者どもにも、けむったがられ、あまり好かれないようじゃありませんか。たいして悪い事も出来ない癖に、どこやら陰険に見えるのです。性格が、めめしいのです。濁っているのです。」
ポロ。「この王にして、この臣ありとでも言うところなのでしょう。ポローニヤスのめめしいところは、王さまからの有難い影響でございましょう。」
王。「血迷って、何を言うのです。無礼です。何を言うのです。その、ふくれた顔つきは、まるで別人のように見えます。ポローニヤス、君は、本当に、どうかしているのではないですか。さきほどは、あんな薄気味のわるい黄色い声を出して花嫁とやらの、いやらしい役を演じ、もともと神経が羸弱《るいじゃく》で、しょげたり喜んだり気分のむらの激しい人だから、何かちょっとした事件に興奮して地位も年齢も忘れて、おどり出したというわけか、でも、それにも程度がある、ポローニヤスとわしとは、三十年間、謂《い》わばまあ同じ屋根の下で暮して来たようなものですが、今夜のように程度を越えた醜態は、はじめてだ、これには、或《ある》いは深いわけがあるのかも知れぬ、ゆっくり問いただしてみましょう、と思ってわしは君をここへお呼びしたのですが、なんという事です。一言のお詫《わ》びどころか、顔つきを変えて、このわしに食ってかかる。ポローニヤス! さ、落ちついて、はっきり答えて下さい。君は、いったい、なんだってあんな子守っ子だって笑ってしまうような甘ったるい芝居を、年甲斐《としがい》もなくはじめる気になったのですか。とにかくあの芝居は、いや、朗読劇か、とにかくあの、くだらない朗読劇は、君の発案ではじめたものに違いない。わしには、ちゃんとわかっています。ハムレットだって、ホレーショーだって、もっと気のきいた台本を択《えら》びます。あんな大仰な、身震いせざるを得ないくらいの古くさい台本は、君でなくては、択べません。何もかも、君の仕業です。さ、ポローニヤス、答えて下さい。なんだってあんな、無礼な、馬鹿な真似《まね》をするのです。」
ポロ。「王さまは御聡明《ごそうめい》でいらっしゃるのですから、べつにポローニヤスがお答え申さずとも、すべて御洞察《ごどうさつ》のことと存じます。」
王。「こんどは又、ばか丁寧に、いや味を言う。すねたのですか? ポローニヤス、そんな気取った表情は、およしなさい。ハムレットそっくりですよ。君も、ハムレットのお弟子《でし》になったのですか? さっき王妃から聞いた事ですが、このごろあちこちにハムレットのお弟子があらわれているそうですね。ホレーショーは、あれは前からハムレットには夢中で、口の曲げかたまでハムレットの真似をしているのですが、このごろはまた、わかい女のお弟子も出来たそうです。それからまた、ただいまは、おじいさんのお弟子も出来たようです。ハムレットも、こんなにどしどし立派な後継者が出来て、心丈夫の事でしょう。ポローニヤス、いいとしをして、そんなにすねるものではありません。不満があるなら、からりと打ち明けてみたら、どうですか。オフィリヤの事なら、わしはもう覚悟をきめています。」
ポロ。「おそれながら、問題は、オフィリヤではございません。あれの運命は、もうきまって居《お》ります。田舎のお城に忍んで行って、ひそかにおなかを小さくするだけの事です。そうしてわしは、職を辞し、レヤチーズの遊学は中止。わしたち一家は没落です。それはもう、きまっている事です。ポローニヤスは、あきらめて居ります。ハムレットさまは、やはりイギリスから姫をお迎えなさらなければなりませぬ。一国の安危にかかわる事です。オフィリヤも不憫《ふびん》ではありますが、国の運命には、かえられませぬ。ポローニヤス一家は、いかなる不幸にも堪え忍んで生きて行くつもりでございますから、その点は御安心下さい。さて、問題は、オフィリヤではございませぬ。問題は、正義です。」
王。「正義? 不思議な事を言いますね。」
ポロ。「正義。青年の正義です。ポローニヤスは、それに共鳴したという形になっているのでございます。王さま、いまこそポローニヤスは、つつまず全部を申し上げます。」
王。「なんだか、朗読劇のつづきでも聞かされているような気がします。へんに芝居くさく、調子づいて来たじゃありませんか。」
ポロ。「王さま、ポローニヤスは真面目《まじめ》です。王さまこそ、そんなに茶化さずに、真剣にお聞きとりを願います。まず第一に、わしから王さまにお伺い申し上げたい事がございます。王さまは、このごろの城中の、実に不愉快千万の噂《うわさ》に就《つ》いて、どうお考えになって居られますか。」
王。「なんですか、君の言う事は、よくわからないのですが、オフィリヤの噂だったら、わしは、けさはじめて君から聞いて知ったので、それまでには夢にも思い設けなかった事でした。」
ポロ。「おとぼけなさっては、いけません。オフィリヤの事など、いまは問題でございません。それはもう、解決したも同然であります。わしのいまお伺い申しているものは、もっと大きく、おそろしく、なかなか解決のむずかしい問題でございます。王さまは、本当に何もご存じないのですか。お心当りが無いのでしょうか。そんな筈《はず》はない。そんな筈は、――」
王。「知っている。みな知っています。先王の死因に就いて、けしからぬ臆測《おくそく》が囁《ささや》き交されているという事は、わしも承知して居ります。怒るよりも、わしは、自分の不徳を恥ずかしく思いました。そんな途方も無い滅茶な噂が、まことしやかに言い伝えられるのも、わしの人徳のいたらぬせいです。わしは、たまらなく淋《さび》しく思っています。けれども、噂は、ひろがるばかりで、このごろは外国の人の耳にもはいっている様子でありますから、このまま、わしが自らを責めて不徳を嘆いているだけでは、いよいよ噂も勢いを得て、とりかえしのつかぬ事態に立ちいたるかも知れぬと思い、この噂の取締りに就いて、君と相談してみたいと考えていたところでした。わしは、まあ、平気ですが、王妃は、やはり女ですから、ずいぶん此の噂には気を病んで、このごろは夜もよく眠っていない様子であります。このまま荏苒《じんぜん》、時を過ごしていたなら、王妃は死んでしまいます。わしたちの、つらい立場を知りもせぬ癖に、わかい者たちは何かと軽薄な当てこすりやら、厭味《いやみ》やらを言って、ひとの懸命の生きかたを遊戯の道具に使っています。なさけ無い事と思っていたら、こんどは君まで、どんな理由か、わかりませんが、わかい者の先に立って躍り狂っているのだから、本当に世の中がいやになります。ポローニヤス、まさか君まで、あの噂を信じているわけじゃないだろうね。」
ポロ。「信じて居ります。」
王。「なに?」
ポロ。「いいえ、信じて居りません。けれども、わしは信じている振りをしていようと思っています。ポローニヤスの、これが置土産の忠誠でございます。王さま、いや、クローヂヤスさま。三十余年間、臣ポローニヤスのみならず、家族の者まで、御寵愛《ごちょうあい》と御庇護《ごひご》を得てまいりました。此度《このたび》オフィリヤの残念なる失態に依《よ》り、おいとましなければならなくなって、ポローニヤスの胸中には、さまざまの感慨が去来いたして居ります。つらい別離の御挨拶《ごあいさつ》を申し上げる前に、一つ、忠誠の置き土産、御高恩の万分の一をお報いしたくて、けさほどから、わかい人たちに対して、最善と思われる手段を講じて置きました。わかい人たちは、あの噂を、はじめは冗談みたいに扱って、たわむれに大袈裟《おおげさ》に騒ぎまわっていたのですが、わしはその騒ぎを否定せず、かえって、あの噂には根拠がある、あの噂は本当だと教えてあげました。」
王。「ポローニヤス! それが、なんの忠誠です。若い者をそそのかし、蜚語《ひご》を撒《ま》きちらして、忠誠も御恩報じもないものだ。ポローニヤス、君の罪は、単に辞職くらいでは、すまされません。わしは、君を見そこなった。こんな、くだらぬ男だとは思わなかった。」
ポロ。「お怒りは、あと廻しにしていただきたく思います。もし、ポローニヤスの此度の手段が間違って居りましたら、どんな御処刑でも甘んじてお受け致《いた》します。クローヂヤスさま、おそれながら此度の奇怪の噂は、意外なほど広く諸方に伝えられ、もみ消そうとすればするほど、噂の火の手はさかんになり尋常一様の手段では、とても防ぐ事の出来ぬと見てとりましたので、死中に活を求める手段、すなわち、わしが頗《すこぶ》る軽率に騒ぎ出して、若い人たちに興覚めさせ、
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