よそばなし》は、およし下さい。ハムレットさま。わしは、けさ辞表を提出しました。」
 ハム。「辞表を? なぜです。何か、問題が起ったのですか? 軽率ですね。あなたは、いまのエルシノア王城に無くてはかなわぬ人です。」
 ポロ。「何をおっしゃる。あなたの、その無心なお顔に、ポローニヤスは、いま迄《まで》だまされて来ました。わしは城中の残念な噂を、やっと、きのう耳にしました。」
 ハム。「噂を? なあんだ、その事か。でも、あれは重大です。僕だって、あなたをだましていたわけではないのです。あんないやな噂を聞かされて、それでも知らぬ振りしてとぼけている事など、とても僕には出来ません。本当に、僕も知らなかったのです。実は、ゆうべ或る人から、はじめて聞かされ、おどろいたのです。けれども、あなたが今まで、ご存じなかったとは意外です。日頃のあなたらしくも無いじゃありませんか。ちょっと、迂濶《うかつ》でしたね。本当に、ご存じなかったのですか? そんな事は無いでしょう。もし、本当に、ご存じなかったとしたら、それは、引責辞職の問題も起るでしょうけど、でも、あなたほどの人が、ご存じなかったという筈は無い。」
 ポロ。「ハムレットさま、失礼ながら、正気でいらっしゃいますか?」
 ハム。「なんですって? ばかにしないで下さい。見ればわかるじゃないですか。まさか、あなたまで、あの噂を信じていらっしゃるわけじゃないでしょうね。」
 ポロ。「嘘の天才! よくもそんな、白々しい口がきけるものだ。ハムレットさま、そんな浅墓《あさはか》な韜晦《とうかい》は、やめて下さい。若い者なら若い者らしく、もっと素直におっしゃったら、いかがです。とても隠し切れるものでは、ありません。わしは、きのう直接、当人から聞いてしまいました。」
 ハム。「なんです、いったい、なんの事を言っているのです。ポローニヤス、言葉が過ぎやしませんか? 僕は、あなたの主人だとか何とか、そんな事は考えていませんが、あなたの言葉は、たとい親しい友人同志の間であっても笑っては済まされん。僕は、御推量のとおり、だらしのない、弱虫の、道楽者です。何一つ、あなた達のお手伝いが出来ません。けれども、僕だってデンマーク国の為《ため》には、いつでも命を捨てるつもりなのだ。ハムレット王家の将来に就《つ》いても、心をくだいている筈だ。ポローニヤス、言葉が過ぎます。何をそんなにこわい顔をして怒っているのです。失敬ですよ。」
 ポロ。「見上げたものです。涙も出ません。これが、わしの二十年間、手塩にかけてお育て申したお子さまか。ハムレットさま、ポローニヤスは夢のようです。」
 ハム。「困りますね。ポローニヤスも、おとしをとられたようですね。往年の智慧者《ちえしゃ》も、僕の乱心などを信じるようじゃ、おしまいだ。」 
 ポロ。「乱心? そうです、あなたは、たしかに気が狂って居られる。むかしのハムレットさまは、なんぼなんでも、これほどじゃなかった。」
 ハム。「寄ってたかって、僕を本物の気違いにしようとしている。それではポローニヤス、あなた迄が、あの噂を本当に全部、信じているのですね?」
 ポロ。「信じるも何も。いまさら、何をおっしゃる。もういい加減に、そんな卑怯《ひきょう》な言いかたは、およしなさい。」
 ハム。「卑怯だと? 何が卑怯だ。僕は、どうして卑怯なのだ。あなたこそ失敬至極じゃないか。僕にはあなたに、おわびしなければならぬ事もあるのだし、これまでずいぶん、あなたには遠慮して来た。いまだって、殴りつけてもやりたい気持を何度も抑えて、あなたと話しているのです。するとあなたは、いよいよ僕を見くびって、聞き捨てならぬ悪口雑言を並べたてる。僕も、もう容赦しません。ポローニヤス、僕は、はっきり言います。あなたは、不忠の臣だ。叔父上の悪事の噂を信じ、母上を嘲笑《ちょうしょう》し、僕を本物の気違いにしようとしている。ハムレット王家の、おそるべき裏切者だ。辞表を提出するまでも無い。即刻、姿を消してもらいたい。」
 ポロ。「なるほど、いろいろの手があるものだ。そういう出方《でかた》をなさろうとは、智慧者のポローニヤスにも考え及ばぬ事でした。ポローニヤスも、お言葉のように、としをとったものと見えます。なるほど、いやな噂が、もう一つあった。此の際に、そのほうだけを騒ぎ立て、ご自分の不仕鱈《ふしだら》な噂のほうは二の次にしようとなさる。ご自分の悪事を言われたくないばかりに、やたらに他人の噂を大事件のように言いふらし、困ったことさ等《など》と言って思案|投首《なげくび》、なるほど聡明《そうめい》な御態度です。醜聞の風向を、ちょいと変える。クローヂヤスさまこそ、いい迷惑だ。あ、痛い! ハムレットさま、ひどい、何をなさる。殴りましたね。おう痛い。気違いにあっち
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