新ハムレット
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)他《ほか》に

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(例)初|謁見式《えっけんしき》

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(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]語《うわごと》
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   はしがき

 こんなものが出来ました、というより他《ほか》に仕様が無い。ただ、読者にお断りして置きたいのは、この作品が、沙翁《さおう》の「ハムレット」の註釈書でもなし、または、新解釈の書でも決してないという事である。これは、やはり作者の勝手な、創造の遊戯に過ぎないのである。人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレット」から拝借して、一つの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味は、みじんも無い。狭い、心理の実験である。
 過去の或《あ》る時代に於《お》ける、一群の青年の、典型を書いた、とは言えるかも知れない。その、始末に困る青年をめぐって、一家庭の、(厳密に言えば、二家庭の、)たった三日間の出来事を書いたのである。いちどお読みになっただけでは、見落し易《やす》い心理の経緯もあるように、思われるのだが、そんな、二度も三度も読むひまなんか無いよ、と言われると、それっきりである。おひまのある読者だけ、なるべくなら再読してみて下さい。また、ひまで困るというような読者は、此《こ》の機会に、もういちど、沙翁の「ハムレット」を読み返し、此の「新ハムレット」と比較してみると、なお、面白い発見をするかも知れない。
 作者も、此の作品を書くに当り、坪内博士訳の「ハムレット」と、それから、浦口文治氏著の「新評註ハムレット」だけを、一とおり読んでみた。浦口氏の「新評註ハムレット」には、原文も全部載っているので、辞書を片手に、大骨折りで読んでみた。いろいろの新知識を得たような気もするが、いまそれを、ここでいちいち報告する必要も無い。
 なお、作中第二節に、ちょっと坪内博士の訳文を、からかっているような数行があるけれども、作者は軽い気持で書いたのだから、博士のお弟子《でし》も怒ってはいけない。このたび、坪内博士訳の「ハムレット」を通読して、沙翁の「ハムレット」のような芝居は、やはり博士のように大時代な、歌舞伎《かぶき》調で飜訳《ほんやく》せざるを得ないのではないかという気もしているのである。
 沙翁の「ハムレット」を読むと、やはり天才の巨腕を感ずる。情熱の火柱が太いのである。登場人物の足音が大きいのである。なかなかのものだと思った。この「新ハムレット」などは、かすかな室内楽に過ぎない。
 なおまた、作中第七節、朗読劇の台本は、クリスチナ・ロセチの「時と亡霊」を、作者が少しあくどく潤色してつくり上げた。ロセチの霊にも、お詫《わ》びしなければならぬ。
 最後に、此の作品の形式は、やや戯曲にも似ているが、作者は、決して戯曲のつもりで書いたのではないという事を、お断りして置きたい。作者は、もとより小説家である。戯曲作法に就《つ》いては、ほとんど知るところが無い。これは、謂《い》わば LESEDRAMA ふうの、小説だと思っていただきたい。
 二月、三月、四月、五月。四箇月間かかって、やっと書き上げたわけである。読み返してみると、淋《さび》しい気もする。けれども、これ以上の作品も、いまのところ、書けそうもない。作者の力量が、これだけしか無いのだ。じたばた自己弁解をしてみたところで、はじまらぬ。
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昭和十六年、初夏。
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  人物。

クローヂヤス。(デンマーク国王。)
ハムレット。(先王の子にして現王の甥《おい》。)
ポローニヤス。(侍従長。)
レヤチーズ。(ポローニヤスの息。)
ホレーショー。(ハムレットの学友。)

ガーツルード。(デンマーク王妃。ハムレットの母。)
オフィリヤ。(ポローニヤスの娘。)

その他。

  場所。

デンマークの首府、エルシノア。
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   一 エルシノア王城 城内の大広間

 王。王妃。ハムレット。侍従長ポローニヤス。その息レヤチーズ。他に侍者多勢。

 王。「皆も疲れたろうね。御苦労でした。先王が、まことに突然、亡《な》くなって、その涙も乾かぬうちに、わしのような者が位を継ぎ、また此《こ》の度はガーツルードと新婚の式を行い、わしとしても具合の悪い事でしたが、すべて此のデンマークの為《ため》です。皆とも充分に相談の上で、いろいろ取りきめた事ですから、地下の兄、先王も、皆の私心無き憂国の情にめんじて、わしたちを許し
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