ありません。それだけは、母校の名誉のために申し上げて置きたいと思います。その噂は、このエルシノアの城下より起り、次第にデンマーク一国にひろがり、とうとう外国の大学にいる者どもの耳にまではいって来たものであります。いかにも無礼な、言語道断の噂なので、このごろはホレーショーも、気が鬱してなりません。ハムレットさまは、きょうまで、少しもご存じなかったのですか?」
ハム。「知らんよ、そんな馬鹿げた事は。それにしても、ずいぶん広くひろがってしまったものらしいねえ。あんまり、ひろがると、馬鹿らしいと笑っても居られなくなるからね。叔父さんや、ポローニヤスたちは知っているのかしら。いったい、あの人たちは、どこに耳を持っているんだろう。聞えても、聞えぬふりをしているのかな? 腹黒いからなあ、あの人たちは。ホレーショー、いったい、それは、どんな幽霊なんだい? 少し気になって来た。」
ホレ。「その前に、はっきり、お伺いして置きたい事があります。かまいませんか?」
ハム。「ホレーショー、僕は君をこわくなって来たよ。早く言ってくれ。なんでもいいから早く言ってしまってくれ。あんまり、そんなに勿体ぶると、僕は君と絶交したくなりそうだ。」
ホレ。「申し上げます。申し上げてしまったら、なんでも無い事なのかも知れません。きっと、また、あなたがひどくお笑いになって、それだけですむ事なのでしょう。何だか僕にも、そんな明るい気がして来ました。それでも、念のために一つお伺いして置きますが、ハムレットさま、あなたは、勿論、現王のお人がらを信じていらっしゃいますね?」
ハム。「意外の質問だね。そいつは、ちょっと難問だ。こまるね。なんと言ったらいいのかなあ。むずかしいんだ。いいじゃないか、そんな事は。どうだって、いいじゃないか。」
ホレ。「いいえ、いけません。この際それを、はっきり伺って置かないと、僕は何も申し上げる事が出来ません。」
ハム。「手きびしいねえ。君は、変ったねえ。ばかに頑固《がんこ》になった。もとは、こんなじゃ無かったがねえ。まあ、いいや。御返事しましょう。なんだって今更、そんな事を僕に聞くんだね? 叔父さんは、だらしないところもあるけど、でも、そんなに悪いひとじゃないんだ。でも人がらを信じるかと聞かれると、僕も、ちょっと困るんだ。何か、叔父さんに就いて悪い噂《うわさ》でもあるのかね? それあ、いろいろ人は言うだろう。なんにしても、こんどは少し、まずかったからね。でも、あれは、もちろん叔父さんひとりできめた訳じゃ無いんだ。そんな事は出来るもんじゃない。ポローニヤスをはじめ、群臣の評定に依《よ》って取りきめられた事なんだ。僕だって今すぐ、位に即《つ》けるほどの男じゃない。いま、デンマークは、むずかしい時らしいからね。ノーウエーとも、いつ戦争が起るか、わかったものじゃない。僕には、まだ自信が無いんだ。叔父さんが位に即いてくれて、僕はかえって気楽になった。本当だよ。僕は、もう暫《しばら》く君たちと自由に冗談を言い合って遊んでいたいよ。なんでもないんだ。もともと、叔父と、甥《おい》の仲じゃないか。一ばん近い肉親だ。それあ僕は、叔父さんには何かと我がままを言うよ。いやがらせを言ってやる事もある。軽蔑《けいべつ》してやる事もある。わざとすねて、ろくに返事もしてやらない時だって、ずいぶんある。でも、それは叔父と甥の間の事だ。僕は、甘えているのかも知れない。でも、それくらいの事は、叔父さんだってわかってくれていると思うんだ。僕は、やっぱり叔父さんを、たよりにしているところもあるんだからね。いい叔父さんだよ。気が弱いんだ。政治の手腕だって、たいした事は無いだろうし、それに、何といったって、もとをただせば山羊のおじさんなんだからね、がっかりしちゃうよ。いろいろ努力しているようだけど、もともと、がらでないんだからね。気の毒なんだ。お父さんと呼べって言うんだけど、僕には出来ない。お母さんもまた、まずい事をしたものさ。ハムレット王家の基礎を固めるためには、それが一ばんいいと皆が言うので、母もその気になったらしいが、どんなものかねえ。あの人たちは、もうとしをとっているし、まあ茶飲友達でも作るような気持で結婚したんだろうが、僕には、やっぱり何だか、てれくさいな。でも僕は、そんな事は、あまり深く考えないようにしているんだ。仕様がないじゃないか。人の子として、?れこれ親の事を下劣に詮索《せんさく》するのは許すべからざる悪徳だ。そんな下等の子は、人間の仲間入り出来ない。そうじゃないかね。一時は、たまらなく淋《さび》しかったけれど、僕は今では、考えないようにしている。僕ひとりの愛憎の念に拠《よ》って、世の中が動いているものでもないんだしね、まあ、あの人たちの事は、あの人たちに任せるより
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