すものか。絶対に、ちがいます。」
ハム。「ばかに、はっきり否定するね。山羊《やぎ》の叔父さんは、あれでなかなかロマンチストだからな。僕と親子になったら、かえって心は千里万里も離れて、愛情は憎悪《ぞうお》に変ったなんて、ひとりでひがんで悲壮がっているような人なんだから、こんどはまた、ぐっと趣向を変えて、先王が死に、嗣子のハムレットはその悲しみに堪え得ず気鬱《きうつ》、発狂。この一家の不幸を脊負い敢然立ったる新王こそはクローヂヤス。芝居にしたら、いいところだ。叔父さんの宣伝さ。叔父さんは自分を何とかして引き立て大いに人気を取りたいものだから、僕を此《こ》の頃《ごろ》ばか扱いにしているんだ。いろいろ苦心して、もったいをつけているよ。見ていて可哀《かわい》そうなくらいだ。でも、僕を気違いだなんて言いふらすのは、どうかと思うなあ。ひどい。叔父さんは、悪いひとだ。」
ホレ。「もう一度申し上げますが、これは、王さまの宣伝ではありません。ハムレットさま。お気の毒に。あなたは、何もご存じないのですね? 大学に伝わって来ている噂は、そんな、なまやさしいものではありません。ああ、僕は、もう言えない。」
ハム。「なんだい? いやに深刻ぶった口調じゃないか。君は、叔父さんから何か言いつけられたね? 僕の反省をうながすように、とか何とか。そうなんだろう?」
ホレ。「もう一度、申し上げます。王さまのお手紙には、ただ、話相手になってやってくれ、とだけ書かれてございました。王さまは、よもや僕が、あなたのところに、こんな恐ろしい噂をもたらそう等《など》とは夢にも思召《おぼしめ》されなかった事と存じます。」
ハム。「そうかなあ。いや、そうかも知れん。もし叔父さんが、大学にそんな噂を撒《ま》きちらしたのなら、君を僕のところへ呼び寄せてくれるなんて危い事は、しない筈《はず》だからね。君がやって来たら、みんなばれちゃうんだからね。叔父さんでないとすると誰の仕業だろうね。わからなくなって来た。とにかく僕が発狂したというんだから、ひどいや。もっとも今の僕には、いっそ気でも違ったら仕合せだろうと思うくらいに、苦しい事もあるんだけどね。これはまあ、あとで話そう。ホレーショー。噂というのは、それだけかい? なんだか、つづきがあるようじゃないか。言ってごらん。僕は平気だよ。平気だ。」
ホレ。「どうしても言わなければいけないでしょうか。」
ハム。「よせよ。自分から言い出して置きながら、いまになって、そんな卑怯《ひきょう》な逃げかたをするなんて。ウイッタンバーグじゃ、そんな呻《うめ》くような、きざな台詞《せりふ》が流行《はや》っているのかね?」
ホレ。「そんなら申し上げます。そんなにホレーショーの誠実を侮辱なさるんだったら申し上げます。本当に、平気でお聞き流し願います。つまらない、とるにも足らぬ噂です。臣ホレーショーは、もとより、そんな不埒《ふらち》な噂は信じていません。」
ハム。「どうだっていいよ、そんな事は。僕は不機嫌《ふきげん》になった。君もそんな固くるしい言いかたをするという事を、はじめて知ったよ。」
ホレ。「申し上げます。その噂は、このごろエルシノア王城に幽霊が出るという、――」
ハム。「それあまた、ひどい。ホレーショー、本気かね。僕は、笑っちゃったよ。ばかばかしい。ウイッタンバーグの大学も、落ちたねえ。あの独自の科学精神を、どこへやった。もっとも、このごろ大学では、劇の研究が盛んなそうだから、中でも頭の悪い馬鹿な研究生が、そんな下手なドラマを案出したのかも知れないね。それにしても、幽霊とは、なんて貧弱な想像力だ。それを面白がって、わやわや騒ぎ立てているとは、大学も、このごろは質《たち》が落ちたものさ。幽霊に、ハムレットの発狂。三文芝居にでもありそうな外題《げだい》だ。叔父さんは僕に、大学はつまらないから、よせと言ってくれたが、本当だ。叔父さんのほうが、よっぽど頭がいいや。そんなくだらない連中と交際して僕まで一緒になって幽霊騒ぎをするようになっては、叔父さんもこんどは心底から閉口だろう。も少し、気のきいた噂を立てないものかね。」
ホレ。「僕は信じていないのです。けれども、母校の悪口はおっしゃらないで下さい。僕は、何だか不愉快です。」
ハム。「しっけい。君は別だよ。叔父さんも、君の事だけは、ほめていたよ。誠実な男だと言っていた。わざわざ僕がウイッタンバーグまで行かずとも、ホレーショーひとりをこちらへ呼び寄せたならば、それでいいと言っていた。僕は本当は、大学へなど行きたくなかったんだけど、でも、君にだけは逢《あ》いたかった。」
ホレ。「忠誠をお誓い致します。なお、言葉を返すようですが、ただいまの奇怪の噂は、決して我がウイッタンバーグ大学から出たものでは
前へ
次へ
全50ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング