れを疑っては、いけません。君は、デンマーク国の王子です。二無き大事な身の上です。もっと自覚を深めて下さい。レヤチーズなどと一緒にして考えてはいけません。レヤチーズは、君の一臣下に過ぎません。フランスへ行くのも、将来その身に箔《はく》をつけたい為《ため》です。だから、あの抜け目の無い、ポローニヤスだって、ゆるしたのです。君には、そんな必要がありません。どうか、ウイッタンバーグへ行くのは、怺《こら》えて下さい。これは、もうお願いではありません。命令です。わしには、君を立派な王に育て上げる義務があります。この王城にとどまり、間もなく佳《よ》い姫を迎える事にしようではないか、ハムレット。」
 ハム。「僕は何も、レヤチーズの真似《まね》をしようとは思っていません。なんでもないんです。僕は、ただ、――」
 王。「よし、よし、わかっています。昔の学友たちと逢《あ》いたくなったのでしょう。わしにも打ち明けられぬ事が出来たのでしょう。そんならウイッタンバーグまで行く必要は、いよいよありません。ホレーショーを、わしが呼んで置きました。」
 ハム。「ホレーショーを!」
 王。「うれしそうですね。あれは、君の一ばんの親友でしたね。わしも、あれの誠実な性格を高く評価して居ります。もう、ウイッタンバーグを出発した筈《はず》です。」
 ハム。「ありがとう。」
 王。「それでは握手しましょう。話合ってみると、なんでもない。これから、だんだん仲良くなるでしょう。どうも、きょうは、君にも失礼な事を言いましたが、悪く思わないで下さい。饗宴《きょうえん》の合図の大砲が鳴っています。皆も待ちかねている事でしょう。一緒にまいりましょう。」
 ハム。「あの、僕は、も少しここで、ひとりで考えていたいんです。どうぞ、おさきに。」

 ハムレットひとり。

 ハム。「わあ、退屈した。くどくどと同じ事ばかり言っていやがる。このごろ急に、もっともらしい顔になって、神妙な事を言っているが、何を言ったって駄目《だめ》さ。自己弁解ばかりじゃないか。もとをただせば、山羊のおじさんさ。お酒を飲んで酔っぱらって、しょっちゅうお父さんに叱《しか》られてばかりいたじゃないか。僕をそそのかして、お城の外の女のところへ遊びに連れていったのも、あの山羊のおじさんじゃないか。あそこの女は叔父さんの事を、豚のおばけだと言っていたんだ。山羊なら、まだしも上品な名前だ。がらでないんだ。がらでないんだ。可哀《かわい》そうなくらいだ。資格がないのさ。王さまの資格がないんだ。山羊の王さまなんて、僕には滑稽《こっけい》で仕方が無い。でも、叔父さんは、油断がならん。見抜いていやがった。僕が本当は、ウイッタンバーグなんかに行く気が無いという事を知っていやがった。油断がならん。蛇《じゃ》の路《みち》は、へびか。ああ、ホレーショーに逢いたい。誰でもいい。昔の友人に逢いたい。聞いてもらいたい事があるんだ。相談したい事があるのだ! ホレーショーを呼んでくれたとは、山羊のおじさん大出来だ。道楽した者には、また、へんな勘のよさがある。いったい山羊め、どこまで知っているものかな? ああ、僕も堕落した。堕落しちゃった。お父さんが、なくなってからは、僕の生活も滅茶滅茶《めちゃめちゃ》だ。お母さんは僕よりも、山羊のおじさんのほうに味方して、すっかり他人になってしまったし、僕は狂ってしまったんだ。僕は誇りの高い男だ。僕は自分の、このごろの恥知らずの行為を思えば、たまらない。僕は、いまでは誰の悪口も言えないような男になってしまった。卑劣だ。誰に逢っても、おどおどする。ああ、どうすればいいんだ。ホレーショー。父は死に、母は奪われ、おまけにあの山羊のおばけが、いやにもったいぶって僕にお説教ばかりする。いやらしい。きたならしい。ああ、でも、それよりも、僕には、もっと苦しい焼ける思いのものがあるのだ。いや、何もかもだ。みんな苦しい。いろんな事が此《こ》の二箇月間、ごちゃまぜになって僕を襲った。くるしい事が、こんなに一緒に次から次と起るものだとは知らなかった。苦しみが苦しみを生み、悲しみが悲しみを生み、溜息《ためいき》が溜息をふやす。自殺。のがれる法は、それだけだ。」

   二 ポローニヤス邸の一室

 レヤチーズ。オフィリヤ。

 レヤ。「荷作りくらいは、おまえがしてくれたっていいじゃないか。ああ、いそがしい。船は、もう帆に風をはらんで待っているのだ。おい、その哲学小辞典を持って来ておくれ。これを忘れちゃ一大事だ。フランスの貴婦人たちは、哲学めいた言葉がお好きなんだ。おい、このトランクの中に香水をちょっと振り撒《ま》いておくれ。紳士の高尚《こうしょう》な心構えだ。よし、これで荷作りが出来た。さあ、出発だ。オフィリヤ、留守《るす》中はお父さんのお世話を、
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