りでぶつぶつ言っているのです。ハムレット! 君は、馬鹿だ! 大馬鹿だ! ふざけるのも、いい加減にし給《たま》え。戦争は冗談や遊戯ではないのだ。このデンマークで、いま不真面目《ふまじめ》なのは君だけだ。君が、それほど疑うなら、わしも、むきになって答えてあげる。ハムレット、あの城中の噂《うわさ》は、事実です。いや、わしが、先王を毒殺したというのは、あやまり。わしには、ただ、それを決意した一夜があった、それだけだ。先王は、急に病気でなくなられた。ハムレット、君は、それでもわしを、罰する気ですか? 恋のためだ。くやしいが、まさに、それだ。ハムレット、さあ、わしは全部を言いました。君は、わしを、罰するつもりですか?」
 ハム。「神さまに、おたずねしたらいいでしょう。ああ、お父さん! いいえ、叔父さん、あなたじゃない。僕には、僕のお父さんが、あったのだ。可哀想《かわいそう》なお父さん。きたない裏切者の中で、にこにこ笑って生きていたお父さん。裏切者は、この、とおり!」
 王。「あ! ハムレット、気が狂ったか。短剣引き抜き、振りかざすと見るより早く、自分自身の左の頬《ほお》を切り裂いた。馬鹿なやつだ。それ、血が流れて汚い。それは一体、なんの芝居だ。わしを切るのかと思ったら、くるりと切先《きっさき》をかえて自分自身の頬に傷をつけ居った。自殺の稽古《けいこ》か、新型の恐喝《きょうかつ》か。オフィリヤの事なら、心配せんでもよいのに、馬鹿な奴だ。君が凱旋《がいせん》した時には、必ず添わしてあげるつもりだ。泣く事はない。戦争がはじまれば、君も一方の指揮者なのです。そんなに泣いては、部下の信頼を失いますよ。ああ、それ、上衣《うわぎ》にまで血が流れて来た。誰かハムレットを、向うへ連れて行って、手当をしてあげなさい。戦争の興奮で、気がへんになったのかも知れぬ。意気地《いくじ》の無い奴だ。おお、ホレーショー、何事です。」

 ホレーショー。王。ハムレット。侍者多勢。

 ホレ。「取り乱した姿で、ごめん! ああ、王妃さまが、あの、庭園の小川に、――」
 王。「飛び込んだか!」
 ホレ。「手おくれでございました。覚悟の御最後と見受けられます。喪服を召され、小さい銀の十字架を右の手のひらの中に、固く握って居られました。」
 王。「気が弱い。わしを助けてくれる筈《はず》の人が、この大事の時に、馬鹿な身勝手の振舞いをしてくれた。わしが悪いのではない! あの人が、弱かったのだ。他人の思惑に負けたのだ。気の毒な。ええっ! 汚辱の中にいながらも、堪え忍んで生きている男もいるのだ。死ぬ人は、わがままだ。わしは、死なぬ。生きて、わしの宿命を全《まっと》うするのだ。神は、必ずや、わしのような孤独の男を愛してくれる。強くなれ! クローヂヤス。恋を忘れよ。虚栄を忘れよ。デンマーク国の名誉、という最高の旗じるし一つのために戦え! ハムレット、腹の中では、君以上に泣いている男がいますよ。」
 ハム。「信じられない。僕の疑惑は、僕が死ぬまで持ちつづける。」
[#地から2字上げ](昭和十六年七月文藝春秋社刊)



底本:「新ハムレット」新潮文庫、新潮社
   1974(昭和49)年3月30日発行
   1995(平成7)年1月30日30刷改版
   1998(平成10)年7月20日33刷
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:細渕真弓
校正:細渕紀子
2003年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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