ましたよ。戦争が、はじまりましたよ。レヤチーズの船が、犠牲になりました。ただいま知らせが、はいりました。レヤチーズたちの乗って行った船が、カテガット海峡に、さしかかると、いずこからともなく、ノーウエーの軍艦が忽然《こつぜん》と姿をあらわし、矢庭《やにわ》に発砲したという。こちらは商船、たまったものでない。けれども、レヤチーズは勇敢であった。おびえる船員を叱咤《しった》し、激励し、みずからは上甲板に立って銃を構え、弾丸《たま》のあるかぎり撃ちまくったのです。敵の砲弾は、わがマストに命中し、たちまち帆がめらめら燃え上った。さらに一弾は船腹に命中し、鈍い音をたてて炸裂《さくれつ》し、ぐらりと船は傾いて、もはや窮した。この時、レヤチーズは、はじめてボートの支度《したく》を下知《げち》して、四、五の船客をまずボートに抱き乗せ、つぎに船員の、妻子のある者にも避難を命じ、自分は屈強のいのち知らずの若い船員五、六名と共に船に居残り、おのおの剣を抜いて敵兵の襲来を待機した。一兵といえども祖国の船に寄せつけじと、レヤチーズは死ぬる覚悟、ヘラクレスの如《ごと》く泰然自若たるものがあったという。敵艦の者も此の勇者の姿を望見し、おじ恐れて、ただ、わが帆船のまわりをうろつき、そのおのずから炎上し沈没するのを待つより他《ほか》はなかったのだ。レヤチーズは、悲壮にも船と運命を共にしたのです。惜しい男だ。父に似ぬ、まことの忠臣、いや、父の名を恥ずかしめぬ天晴《あっぱ》れの勇者です。わしたちは、レヤチーズの赤心に報いなければならぬ。いまは、デンマークも立つべき時です。ノーウエーとの永年の不和が、とうとう爆発したのです。わしは、けさその急報に接し、ただちに、決意しました。神は正義に味方をします。戦えば、わがデンマークは必ず勝ちます。なに、前から機会をねらっていたのだ。レヤチーズは、尊い犠牲になってくれました。父子《おやこ》そろって、いや、レヤチーズの霊は必ず手厚く祭ってやろう。それが国王としてのわしの義務だ。」
 ハム。「レヤチーズ。僕と同じ、二十三歳。竹馬の友。少し頑固で怒りっぽく、僕には少し苦手だったが、でも、いい奴だった。死んだのか? オフィリヤが聞いたら卒倒するだろう。ここにいなくて、さいわいだった。レヤチーズ。その身に箔《はく》をつけるため、将来のおのれの出世に備えるため、フランスに遊学の途端に、降って湧《わ》いた災難、その時とっさに自分の野望をからりと捨て、デンマーク国の名誉を守るために、一身を犠牲にして悔いる色が無かった。僕は、負けたよ。レヤチーズ。君は、僕をきらいだったね。僕だって、君を好いてはいなかった。オフィリヤの事が起ってからは、君を恐怖さえしていた。僕たちは、幼い時から、はげしい競争をして来た。好敵手だった。表面は微笑《ほほえ》み合いながらも、互いに憎んでいた。僕には、君が邪魔だったよ。けれども、君は、やっぱり、偉いやつだ。父上、――」
 王。「はじめて、父上と呼んでくれましたね。さすがに、デンマーク国の王子です。国の運命のためには、すべての私情を捨てましょう。本日これから、この広間に群臣を集めて重大の布告をいたします。ハムレット、立派な将軍振りを見せて下さい。」
 ハム。「いいえ、弱い一兵卒になりましょう。僕は、レヤチーズに負けました。ポローニヤスは、どうしていますか? あの人の胸中にも、悲痛なものがあるでしょうね。」
 王。「それは、もちろんの事です。わしは、充分になぐさめてやるつもりで居《お》ります。さて、王妃は、いったい、どうしたのでしょう。けさから姿が見えぬのです。いま、ホレーショーに捜させているのですが、君は、見かけませんでしたか? きょうの布告の式には、王妃も列席してないと、具合がわるい。やっぱり、こんな時には、ポローニヤスがいないと不便ですね。」
 ハム。「では、ポローニヤスは? もう、此の城にいないのですか? どこかへ出発したのですか? 叔父さん、そんなに顔色を変えてどうしたのです。」
 王。「どうもしやしません。このデンマーク国、興廃の大事な朝に、ポローニヤス一個人の身の上などは、問題になりません。そうでしょう? わしは、はっきり言いますが、ポローニヤスは、いまこの城にいないのです。あれは不忠の臣です。もっとくわしい事情は、いまは、言うべき時ではない。いずれ、よい機会に、堂々と、包みかくさず発表します。」
 ハム。「何か、あったな? ゆうべ、何かあったな? 叔父さんの、あわてかたは、戦争の興奮ばかりでも無いようだ。僕も、うっかり、レヤチーズの壮烈な最後に熱狂し、身辺の悶着《もんちゃく》を忘れていた。叔父さんは、御自分のうしろ暗さを、こんどの戦争で、ごまかそうとしているのかも知れぬ。案外、これは、――」
 王。「何を、ひと
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