ず、お酒もたんと召し上れ。ひなたぼっこも、なさいませ。
ああ、もう少し。もう一言《ひとこと》。
わかれの言葉も髪もキスも、なにも、あなたに残さずに、あたしは連れてゆかれます。
もう、だめなの。
あたしを忘れないで下さいませ。

亡霊。(ハムレット。)

むだな事だ。
そんな、いじらしい言葉は、むだです。
お前は、その花聟の心を知らぬ。
お前の愛するその騎士は、お前が去って三日目に、きっとお前を忘れます。
うつくしい、それゆえ脆《もろ》い罪のおんなよ。
お前は、やがてあの世で、わしがきょう迄《まで》くるしんだ同じ苦しみを嘗《な》めるのだ。
嫉妬《しっと》。
それがお前の、愛されたいと念じた揚句の収穫だ。
実に、見事な収穫だ。
いまに、その花嫁の椅子《いす》には、お前よりもっと若く、もっと恥じらいの深い小さい女が、お前とそっくりの姿勢で腰かけて、花聟にさまざまの新しい誓いを立てさせ、やがて子供を産むだろう。
この世では、軽薄な者ほど、いつまでも皆に愛されて、仕合せだ。
さあ、行こう。
わしとお前だけは、
雨風にたたかれながら、
飛び廻り、泣き叫び、駈《か》けめぐる!
[#ここで字下げ終わり]

 王妃。「よして下さい! ハムレット、いい加減に、およしなさい。これは一体、誰の猿智慧《さるぢえ》なんです? ばかばかしくて、見て居られません。どうせ、いやがらせをなさる積りなら、も少し気のきいた事でやって下さい。あなたがたは卑怯《ひきょう》です。陋劣《ろうれつ》です。私は、おさきに失礼します。なんだか、吐きそうになりました。」
 王。「ちっとも怒る事は、ありません。面白いじゃないか。まだ、此《こ》のつづきもあるようです。ポローニヤスの花嫁は、お手柄《てがら》でした。もっと強く抱いて、と息《いき》をつめて哀願するところもよかったし、あたしは、だめだわと言って、がくりと項垂《うなだ》れるところなど、実に乙女の感じが出ていました。うまいものですね。」
 ポロ。「お褒《ほ》めにあずかって、おそれいります。」
 王。「ポローニヤス、あとで、わしの居間にちょっとおいでを願います。ハムレットは、台本に無い台詞《せりふ》まで言っていましたね。でも、なんだか熱が無かった。表情が投げやりでした。」
 王妃。「私は、失礼いたします。こんな下手くその芝居は、ごめんです。ポローニヤスの花嫁には、海坊主の
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