たがデンマーク国の王子の妃になる事の喜びを、申し述べているのに過ぎません。王子の妃になって、王妃を母と呼べる身分になるのは、デンマーク国の女の子と生れて最上のよろこびの筈《はず》です。あたり前の話です。あなた達は、自分の俗な野心を無邪気な甘えた言いかたで、巧みに塗りかえるから油断がなりません。うっかり、だまされます。今の若い人たちは、なんにも知らぬ振りをして子供っぽい口をきいて私たちを笑わせながら、実は、どうして、ちゃっかり俗な打算をしているのだから、いやになります。ほんとうに、抜け目がなくて、ずるいんだから。」
 オフ。「ちがいます、王妃さま。どうしてそんなに意地わるく、どこまでもお疑いになるのでしょう。あたしには、そんな大それた浅墓な野心などは、ございません。あたしは、ただ王妃さまを、本当に、好きなのでございます。泣くほど好きです。あたしの生みの母は、あたしの小さい時になくなりましたけれど、いま生きていても、王妃さまほどではないだろうと思います。王妃さまには、あたしのなくなった母よりも、もっと優しく、そうして素晴らしい魅力がございます。あたしは、王妃さまのためには、いつ死んでもいいと思っています。王妃さまのようなおかたを、母上とお呼びして一生つつましく暮したいと、いつも空想して居《お》りました。ご身分の事などは、いちども考えたことがございません。不忠の娘でございます。やっぱり、あたしには母が無いので一そう、お慕いする気持が強いのかも知れません。本当に、あたしには、なんの野心もございません。なさけ無い事をおっしゃいます。あたしは、ハムレットさまのご身分をさえ忘れていました。ただ、王妃さまのお乳の匂いが、ハムレットさまのおからだのどこかに感ぜられて、それゆえ、たまらなくおいとしく思われ、とうとう、こんな恥ずかしい身になりました。あたしは、ちっとも打算をしませんでした。それは、神さまの前ではっきり誓うことが出来ます。王子さまの妃になって出世しようなどと、そんな大それた野心は、本当に、夢に見たことさえございません。あたしは、ただ、王妃さまの遠いつながりを、わが身に感じている事が出来れば、それで幸福なのでございます。あたしは、もうみんな、あきらめて居ります。いまは、王妃さまのお孫を無事に産み、お丈夫に育てる事だけが、たのしみでございます。あたしは、自分を仕合せな女だと思っ
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