鹿を見ます。何を言う事やら。」
オフ。「いいえ、王妃さま。あたしは、夢中ではございませぬ。あたしは、こんな事になってしまう前から、ずっと以前から、おしたい申して居りました。いいえ、ハムレットさまでなく、王妃さまを、こっそり、懸命に、おしたい申して居りました。そのうちに、つい、ハムレットさまと、こんなになって喜びやら、くるしみやら、意外の思いやら、いろんな事がございましたが、あたしには、失礼ながら王妃さまを母上とお呼びして甘える事が出来るようになるのではないかしらという淡い期待が何にも増して、うれしかったのでございます。お信じ下さいませ。あたしは小さい時から王妃さまを、どんなに敬い、そうしてどんなに好きで好きでたまらなかったか、王妃さまには、おわかりになりますまい。あたしは今まで、身振りでも、ものの言い様でも、何でもかでも王妃さまの真似《まね》ばかりしてまいりました。ごめんなさい。王妃さまのお身分のせいでは無しに、ただ、女性として魅力あるおかた、いいおかた、すばらしいおかた、ああなんと申し上げたらいいのでしょう、王妃さま、あたしをお笑い下さいませ。あたしは、馬鹿な娘です。ハムレットさまが、もし、王妃さまのお子でなかったら、あたしだって、こんな間違いは起こさなかったろうと思います。あたしは、みだらな女ではございませぬ。王妃さまの大事な大事なお子さまですから、あたしも、大事におあずかりしようと思ったのです。」
王妃。「可愛い冗談ばかりおっしゃる。あなた達は、ふいと思いついた言葉を、そのまま、まことしやかに言い出すので、いつも私たちは閉口します。あなたが私を、少しでも好きだとしたら、それは、やっぱり私の身分のせいです。身分がきらきらしているので、それに眼がくらんで、のぼせ気味になって何でもかでも矢鱈に素晴らしく見えるようになったのでしょう。私は、つまらないお婆《ばあ》さんです。あなたが、ハムレットを拒み得なかったのも、ハムレットの身分のせいです。王妃の大事な子供だから、あなたも大事にしようと思いました等という突飛な意見は、私ひとりは笑って聞き流して、許してもあげますが、他《ほか》のひとにそんな事を言ったら、あなたは白痴か気違い扱いにされてしまいます。あなたが私を母と呼んで甘えたい、それが一ばんの喜びだと無邪気そうにおっしゃっていましたが、わかり切った事です。それは、あな
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