るのです。これを御覧。」と先生は卓上の新聞を私の方に押してよこした。見ると、その新聞の上段に大きく、
 観菊会行幸啓
 赤坂離宮に
 内外人四千九十二名
 などという見出しが掲げられてある。本文を読んでみるまでもなく、私にはわかった。
「国の光の、悠遠靉靆《ゆうえんあいたい》たる事に確信を持とうやないか。」先生は伏目になって、しんみりと言った。「国体の盛徳、とでも申したらよいか、私は戦争の時にひとしお深くそれを感じます。」ふいと語調をかえて、「君は周君の親友か?」
「いいえ、決して、そんな、親友ではないのですけれど、でも、僕はこれから周さんと仲良くしようと思っていたのです。周さんは、僕なんかより、ずっと高い理想をもって、この仙台にやって来たのです。周さんは、お父さんの病気のため、十三の時から三年間、毎日毎日、質屋と薬屋の間を走りまわって暮したのです。そうして、臨終《りんじゅう》のお父さんを喉《のど》が破れるほど呼びつづけて、それでも、お父さんは、死んじゃったんです。その時の、自分の叫びつづけた声が、いまでも耳について、離れないと言っているんです。だから、周さんは、支那の杉田玄白になって
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