。さて、松島の奇遇に依って、のんきに結ばれた周さんと私の交友にも、時々へんな邪魔がはいったと前に書いたが、その不愉快な介入者が、まことに早く思いがけない方面からあらわれたのである。私は、その日、周さんに逢うのを楽しみにして、いつになく早く起きて登校したのだが、周さんの姿はどこにも見えず、また期待していた藤野先生の講義も、固苦しいと言っていいほどまじめなものだったので、少し閉口の気味で、結局その日は何の面白い事もなく、夕方、授業を終えてぼんやり校門を出た時、
「おい、ちょっと、君。」と呼びとめられ、ふりむくと、背の高い、鼻の大きな脂顔のキザったらしい生徒が、にやにや笑って立っていた。周さんと私との交友の、最初の邪魔者は、この男であった。その名は、津田憲治。
「ちょっと君に話したいことがあるんだがね。」横柄な口のきき方である。しかし、訛りは無かった。東京者かも知れぬ、と私はひそかに緊張した。「一番丁あたりで、晩めしをつき合ってくれないかね。」
「はあ。」東京者に対しては、私は極度に無口である。
「承知してくれるね。」先に立ってどんどん歩いて、「さあ、どこがいいかな。東京庵の天ぷら蕎麦《そば
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