きぜつ》というほどではなかったが、東京の人の言葉にくらべて、へんに語勢が強く、わかりにくいところが多かった。まちの中心は流石《さすが》に繁華で、東京の神楽坂《かぐらざか》くらいの趣ォはあったが、しかし、まち全体としては、どこか、軽い感じで、日本の東北地方の重鎮《じゅうちん》としてのどっしりした実力は稀薄《きはく》のように思われた。かえってもっと北方の盛岡、秋田などというあたりに、この東北地方の豊潤な実勢力が鬱積《うっせき》されているのだが、仙台は所謂《いわゆる》文明開化の表面の威力でそれをおさえつけ、びくびくしながら君臨しているというような感じがした。ここは伊達政宗《だてまさむね》という大名の開いたまちだそうであるが、日本で、der Stutzer の気取屋のことを「伊達者」といっているのは、案外、仙台のこんな気風をからかったことから始ったのではないかしらと思われるほど、意味も無く都会風に気取っているまちであった。要するに、自信も何も無いくせに東北地方第一という沽券《こけん》にこだわり、つんと澄ましているだけの「伊達のまち」のように自分には思われたのだが、しかし、あなたがさっき話してく
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