時の自分には、卒業とは名ばかりで、実際は、鉱山技師の資格など全く無かったのである。自分も既に二十一歳になっていた。早く人生の進路を決定しなければならぬ。義和団《ぎわだん》の乱に依って清朝の無力が、列国だけでなく、支那の民衆にも看破せられ、支那の独立性を保持するには打清興漢の大革命こそ喫緊《きっきん》なれとの思想が澎湃《ほうはい》として起り、さきに海外に亡命していた孫文《そんぶん》は、すでにその政治綱領「三民主義」を完成し、之《これ》を支那革命の旗幟《きし》として国内の同志を指導し、自分たち洋学派の学生も大半はその「三民主義」の熱烈な信奉者となって、老憊《ろうぱい》の清国政府を打倒し漢民族の新国家を創造し、以《もっ》て列国の侵略に抗してその独立性を保全すべしと叫んで学業を放擲《ほうてき》し、直接革命運動に身を投ずる者も少くなかった。自分も、その風潮に刺戟せられて、支那の危急を救うためには、必ず或る種の革命が断行せられなければならぬと察照するに到ってはいたが、しかし、それには、列国の文明の本質をさらにもっと深く究明するのが何よりも緊急の事のように思われた。自分の知識は未だ幼稚である。ほとん
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