この景色には、少しも人間の匂いが無い。僕たちの国の者には、この淋《さび》しさはとても我慢できぬでしょう。」
「お国はどちらです。」私は余念なく尋ねた。
 相手は奇妙な笑い方をして、私の顔を黙って見ている。私は幾分まごつきながら、重ねて尋ねた。
「東北じゃありませんか。そうでしょう?」
 相手は急に不機嫌《ふきげん》な顔になって、
「僕は支那《しな》です。知らない筈《はず》はない。」
「ああ。」
 とっさのうちに了解した。ことし仙台医専に清国《しんこく》留学生が一名、私たちと同時に入学したという話は聞いていたが、それでは、この人がそうなのだ。唱歌の下手くそなのも無理がない。言葉が妙に、苦しくて演説口調なのも無理がない。そうか。そうか。
「失礼しました。いや、本当に知らなかったのです。僕は東北の片田舎から出て来て、友達も無いし、どうも学校が面白くなくて、実は新学期の授業にもちょいちょい欠席している程で、学校の事に就いては、まだなんにも知らないのです。僕は、アインザームの烏なんです。」自分でも意外なほど、軽くすらすらと思っている事が言えた。
 あとで考えた事だが、東京や大阪などからやって来た
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