将来、撮って送ってくれるように、そして折々たよりをしてその後の様子を知らせるようにとお頼みになった。
僕は仙台を去った後、多年写真を撮ったことがなかった。それに、その後の僕の様子も面白くなく、お知らせすれば先生を失望させるばかりであると思うと、手紙さえ書けなかったのである。年月が余計に経過するにしたがい、いよいよ何からお話してよいやら惑《まど》うばかりで、たまにお便りを差上げようと思って、筆を執《と》っても、一字もしたためる事が出来なかった。かくてそれっきり今日まで、ついに一本の手紙も一枚の写真も送らずに過して来てしまったのである。先生の側からいえば、僕は去ったが最後、杳《よう》として音沙汰《おとさた》なしというところであろう。
だが、何故《なぜ》だか知らぬが、僕は二十年後の今でも、折にふれて先生を思い出す。僕がわが師と仰いでいる人の中で、先生こそは最も僕を感激せしめ、僕を鼓舞激励して下さった一人であった。時々、僕はこう考える。先生の僕に対する熱心なる希望と、倦《う》まざる教晦《きょうかい》とは、小にして之《これ》を言えば、これ中国のためであり、即ち中国に新しい医学の起らん事を希望
前へ
次へ
全198ページ中193ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング