にしているらしく、周さんに独逸《ドイツ》語の大辞典を贈呈したり、宿題をひき受けてやったり、また、学校で講義を聴く時には、いつも周さんの隣りに座席をとって、何かと世話を焼いている様子であったが、しかし、周さんは、藤野先生をはじめ、そのような皆の懸命の努力にも拘《かかわ》らず、やはり、まもなく私たちから去って行った。
 あれは、たしか二学年の終りの頃の事であったと思う。雪も消えて、榴《つつじ》ヶ岡《おか》の枝垂桜《しだれざくら》も咲きはじめ、また校庭の山桜も、ねばっこい褐色《かっしょく》の稚葉《わかば》と共に重厚な花をひらいて、私たちはそろそろ学年末の試験準備に着手していた頃であった。あの、所謂「幻燈事件」が起り、周さんのなつかしい姿が、忽然《こつぜん》と、私たちの周囲から消えた。前にも言ったように、周さんは、あの幻燈の画面を見て、にわかに医学から文芸へ転換したのではなく、その方針の変化は、ずいぶん前から徐々に行われていたのは事実であるが、しかし、あの「幻燈事件」は、少くともその総決算の口実の役目を勤めたという事は認めざるを得ないのである。謂わば、周さんの仙台引上げの踏切台にはなったのであ
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