たのではなかろうか。人間の歴史というものは、たびたびそのように要領よく編み直されて伝えられなければならぬ場合があるらしい。どんな理由で、魯迅が自分の過去をそんな工合に謂《い》わば、「劇的」に仕組まなければならなかったか、それは私にもわからない。ただ、彼がその自分の過去の説明を行った頃の支那の情勢、または日支関係、または支那の代表作家としての彼の位置、そのようなところから注意深く辿《たど》って行ったら、或いは何か首肯するに足るものに到達できるのではなかろうか、とも思われるのだが、鈍根の私には、そんなこまかな窮竟《きゅうきょう》はおぼつかない。美女がくるりと一廻転すれば鬼女になっているというのは芝居にはよくある事だが、しかし、人間の生活においてそんな鮮明な転換は、あり得ないのではなかろうか。人の心の転機は、ほかの人には勿論《もちろん》わからないし、また、その御本人にも、はっきりわかっていないものではなかろうか。多くの場合、人は、いつのまにやら自分の体内に異った血が流れているのに気附いて、愕然《がくぜん》とするものではあるまいか。所謂「幻燈事件」というものも、その翌年の春、たしかにあった。し
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