たくなるばかりなのです。あなたは、どうでしょうか。僕は小さい時から、他の人がみんな熱狂して拍手なんかしている場合、それと一緒に拍手するのが、おもはゆいような気持になるのです。堂々たる演説を聞き、内心はとても感激しているのですが、しかし、他の人が大拍手して浮かれているのを見ると、どうしてもその演説に拍手が出来なくなってしまうのです。内心の感動が大きければ大きいほど、拍手なんかするのは、その演説者に対する白々しい虚礼のように思われ、かえって失礼なことではないかしら、黙っているのが本当の敬意だというような気がして、拍手の喧噪を憎みたくなって来るのです。学校の運動会の時の、応援などにも、これと同様の気持を味《あじわ》いました。またキリスト教に就いても、僕は、キリストの『おのれを愛するが如く隣人を愛せよ』という思想には非常な尊敬を感じ、ほとんどキリストにすがりたい気持にさえなった事もあるのですが、しかし、あの教会の大袈裟な身振りは、私の信仰を遮《さえぎ》るのです。あなたがいつか僕にいった事があったけれど、僕は支那人のくせに、孔孟の言を口にしません。あなたたちにとっては、それは不思議な事のように思
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