らないので、ちょっと立寄ってみたのです。お邪魔じゃない?」
「いいえ、僕はいつでも遊んでいるようなものです。しかし、教会とは、またどうしたのです。」
周さんは私と同様、キリストの隣人愛には大いに敬意を表し、十字架につかざるを得ない義人の宿命を仰恋する事に於いても敢《あ》えて人後に落ちるものでは無かったが、しかし、どうも、教会の職業的なヤソ坊主の偽善家みたいな悲愴《ひそう》な表情や、またその教会に通う若い男女のキザに澄ました態度に辟易《へきえき》して、仙台の市中にずいぶんたくさん散在している教会堂にも、もっぱら敬遠の策をとり、殊に周さんなどは、ヤソのヤソくさきは真のヤソに非《あら》ず、と断じ、支那の儒者先生たちが孔孟の精神を歪曲《わいきょく》せしめたように、キリストの教えも、外国のヤソ坊主たちが堕落せしめてしまったのだ、とさえ語っていた事があった。それなのに、いま彼は、美以教会に行って来たという。
周さんは、はにかみながら、
「いや、僕はこのごろ、Kranke なんです。それで、みんなにごぶさたして、もう、全く einsam の烏になってしまいました。でも、あのころは楽しかったですね
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