わか仕立ての狂言を上場したりして、全市すこぶる活気|横溢《おういつ》、私たちも医専の新しい制服制帽を身にまとい、何か世界の夜明けを期待するような胸のふくれる思いで、学校のすぐ近くを流れている広瀬川の対岸、伊達《だて》家三代の霊廟《れいびょう》のある瑞鳳殿《ずいほうでん》などにお参りして戦勝の祈願をしたものだ。上級生たちの大半の志望は軍医になっていますぐ出陣する事で、まことに当時の人の心は、単純とでも言おうか、生気|溌剌《はつらつ》たるもので、学生たちは下宿で徹宵《てっしょう》、新兵器の発明に就《つ》いて議論をして、それもいま思うと噴《ふ》き出したくなるような、たとえば旧藩時代の鷹匠《たかじょう》に鷹の訓練をさせ、鷹の背中に爆裂弾をしばりつけて敵の火薬庫の屋根に舞い降りるようにするとか、または、砲丸に唐辛子《とうがらし》をつめ込んで之《これ》を敵陣の真上に於いて破裂させて全軍に目つぶしを喰わせるとか、どうも文明開化の学生にも似つかわしからざる原始的と言いたいくらいの珍妙な発明談に熱中して、そうしてこの唐辛子目つぶし弾の件は、医専の生徒二、三人の連名で、大本営に投書したとかいう話も聞いたが、さらに血の気の多い学生は、発明の議論も手ぬるしとして、深夜下宿の屋根に這《は》い上って、ラッパを吹いて、この軍隊ラッパがまたひどく仙台の学生間に流行して、輿論《よろん》は之を、うるさしやめろ、と怒るかと思えばまた一方に於いては、大いにやれ、ラッパ会を組織せよ、とおだてたり、とにかく開戦して未だ半箇年というに、国民フ意気は既に敵を呑んで、どこかに陽気な可笑《おか》しみさえ漂っていて、そのころ周さんが「日本の愛国心は無邪気すぎる」と笑いながら言っていたが、そう言われても仕方の無いほど、当時は、学生ばかりでなく仙台市民こぞって邪心なく子供のように騒ぎまわっていた。
それまで田舎の小さい城下町しか知らなかった私は、生れて初めて大都会らしいものを見て、それだけでも既に興奮していたのに、この全市にみなぎる異常の活況に接して、少しも勉強に手がつかず、毎日そわそわ仙台の街を歩きまわってばかりいた。仙台を大都会だと言えば、東京の人たちに笑われるかも知れないが、その頃の仙台には、もう十万ちかい人口があり、電燈などもその十年前の日清《にっしん》戦争の頃からついているのだそうで、松島座、森徳座では、その明るい電燈の照明の下に名題役者《なだいやくしゃ》の歌舞伎が常設的に興行せられ、それでも入場料は五銭とか八銭とかの謂わば大衆的な低廉《ていれん》のもので手軽に見られる立見席もあり、私たち貧書生はたいていこの立見席の定連《じょうれん》で、これはしかし、まあ小芝居の方で、ほかに大劇場では仙台座というのがあり、この方は千四、五百人もの観客を楽に収容できるほどの堂々たるもので、正月やお盆などはここで一流中の一流の人気役者ばかりの大芝居が上演せられ、入場料も高く、また盆正月の他にもここに浪花節《なにわぶし》とか大魔術とか活動写真とか、たえず何かしらの興行物があり、この他、開気館という小ぢんまりした気持のいい寄席が東一番丁にあって、いつでも義太夫《ぎだゆう》やら落語やらがかかっていて、東京の有名な芸人は殆《ほとん》どここで一席お伺いしたもので、竹本|呂昇《ろしょう》の義太夫なども私たちはここで聞いて大いにたんのうした。そのころも、芭蕉《ばしょう》の辻《つじ》が仙台の中心という事になっていて、なかなかハイカラな洋風の建築物が立ちならんではいたが、でも、繁華な点では、すでに東一番丁に到底かなわなくなっていた。東一番丁の夜のにぎわいは格別で、興行物は午後の十一時頃までやっていて、松島座前にはいつも幟《のぼり》が威勢よくはためいて、四谷怪談《よつやかいだん》だの皿屋敷《さらやしき》だの思わず足をとどめさすほど毒々しい胡粉《ごふん》絵具の絵看板が五、六枚かかげられ、弁や、とかいう街の人気男の木戸口でわめく客呼びの声も、私たちにはなつかしい思い出の一つになっているが、この界隈《かいわい》には飲み屋、蕎麦《そば》屋、天ぷら屋、軍鶏《しゃも》料理屋、蒲焼《かばやき》、お汁粉《しるこ》、焼芋、すし、野猪《のじし》、鹿《しか》の肉、牛なべ、牛乳屋、コーヒー屋、東京にあって仙台に無いものは市街鉄道くらいのもので、大きい勧工場sかんこうば》もあれば、パン屋あり、洋菓子屋あり、洋品店、楽器店、書籍雑誌店、ドライクリーニング、和洋酒|缶詰《かんづめ》、外国煙草屋、ブラザア軒という洋食屋もあったし、蓄音機《ちくおんき》を聞かせる店やら写真屋やら玉突屋やら、植木の夜店もひらかれていて、軒並に明るい飾り電燈がついて、夜を知らぬ花の街の趣《おもむき》を呈し、子供などはすぐ迷子《まいご》になりそうな雑沓《ざっとう》で、
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