それまで東京の小川町も浅草も銀座も見た事の無い田舎者の私なんかを驚嘆させるには充分だったのである。いったいここの藩祖|政宗《まさむね》公というのは、ちょっとハイカラなところのあった人物らしく、慶長十八年すでに支倉《はせくら》六右衛門常長を特使としてローマに派遣して他藩の保守|退嬰派《たいえいは》を瞠若《どうじゃく》させたりなどして、その余波が明治維新後にも流れ伝っているのか、キリスト教の教会が、仙台市内の随処にあり、仙台気風を論ずるには、このキリスト教を必ず考慮に入れなければならぬと思われるほどであって、キリスト教の匂いの強い学校も多く、明治文人の岩野|泡鳴《ほうめい》というひとも若い頃ここの東北学院に学んで聖書教育を受けたようだし、また島崎|藤村《とうそん》も明治二十九年、この東北学院に作文と英語の先生として東京から赴任して来たという事も聞いている。藤村の仙台時代の詩は、私も学生時代に、柄《がら》でもなく愛誦《あいしょう》したものだが、その詩風には、やはりキリスト教の影響がいくらかあったように記憶している。このように当時の仙台は、地理的には日本の中心から遠く離れているように見えながらも、その所謂《いわゆる》文明開化の点においては、早くから中央の進展と敏感に触れ合っていたわけで、私は仙台市街の繁華にたまげ、また街の到るところ学校、病院、教会など開化の設備のおびただしいのに一驚し、それからもう一つ、仙台は江戸時代の評定所《ひょうじょうしょ》、また御維新後の上等裁判所、のちの控訴院と、裁判の都としての伝統があるせいか、弁護士の看板を掲げた家のやけに多いのに眼をみはり、毎日うろうろ赤毛布《あかゲット》の田舎者よろしくの体で歩きまわっていたのも、無理がなかった、とまあ、往時《おうじ》の自分をいたわって置きたい。
 私はそのように市内の文明開化に興奮する一方、また殊勝らしい顔をして仙台周辺の名所旧蹟をもさぐって歩いた。瑞鳳殿にお参りして戦勝祈願をしたついでに、向山《むかいやま》に登り仙台全市街を俯瞰《ふかん》しては、わけのわからぬ溜息《ためいき》が出て、また右方はるかに煙波|渺茫《びょうぼう》たる太平洋を望見しては、大声で何か叫びたくなり、若い頃には、もう何を見ても聞いても、それが自分にとって重大な事のように思われてわくわくするもののようであるが、かの有名な青葉城の跡を訪ねて、今も昔のままに厳然と残っている城門を矢鱈《やたら》に出たり入ったりしながら、われもし政宗公の時代に生れていたならば、と埒《らち》も無い空想にふけり、また、俗に先代萩《せんだいはぎ》の政岡《まさおか》の墓と言われている三沢初子の墓や、支倉六右衛門の墓、また、金も無けれど死にたくも無しの六無斎《ろくむさい》林子平《はやししへい》の墓などを訪れて、何か深い意味ありげに一礼して、その他、榴《つつじ》ヶ岡《おか》、桜ヶ岡、三滝温泉、宮城野原《みやぎのはら》、多賀城址《たがじょうし》など、次第に遠方にまで探索の足をのばし、とうとう或《あ》る二日つづきの休みを利用して、日本三景の一、松島遊覧を志した。
 お昼すこし過ぎに仙台を発足して、四里ほどの道をぶらぶら歩いて塩釜《しおがま》に着いた頃には、日も既に西に傾き、秋風が急につめたく身にしみて、へんに心細くなって来たので、松島見物は明日という事にして、その日は塩釜神社に参拝しただけで、塩釜の古びた安宿に泊り、翌《あく》る朝、早く起きて松島遊覧の船に乗ったのであるが、その船には五、六人の合客があって、中にひとり私と同様に仙台医専の制服制帽の生徒がいた。鼻下に薄髭《うすひげ》を生《は》やし、私より少し年上のように見えたが、でも、緑線を附けた医専の角帽はまだ新しく、帽子の徽章《きしょう》もまぶしいくらいにきらきら光って、たしかに今秋の新入生に違いなかった。何だか一、二度、教室でその顔を見かけたような気もした。けれども、そのとしの新入生は日本全国から集って百五十人、いや、もっと多かったようで、東京組とか、大阪組とか、出生の国を同じくする新入生たちはそれぞれ群を作って、学校にいても、また仙台のまちへ出ても、一緒に楽しそうに騒ぎまわっていたものの、田舎の私の中学から医専に来たのは私ひとりで、それに私は、生来口が重い上に、ご存じの如くひどい田舎訛《いなかなま》りなので、その新入生たちにまじって、冗談を言い合う勇気もなく、かえってひがんで、孤立を気取り、下宿も学校から遠く離れた県庁の裏に定めて、同級生の誰とも親しく口をきかなかったのは勿論《もちろん》、その素人《しろうと》下宿の家族の人たちとも、滅多《めった》に打ち解けた話をする事は無かった。それは仙台の人たちだって、かなり東北訛りは強かったが、私の田舎の言葉ときたら、それどころでは無く、また、私
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