も無理に東京言葉を使おうとしたら、使えないわけはないのだが、どうせ田舎出だという事を知られているのに、きざにいい言葉を使ってみせるのも、気恥かしいのである。これは田舎者だけにわかる心理で、田舎言葉を丸出しにしても笑われるし、また努力して標準語を使っても、さらに大いに笑われるような気がして、結局、むっつりの寡黙居士《かもくこじ》になるより他は無いのである。私がその頃、他の新入生と疎遠だったのは、そのような言葉の事情にも依《よ》るが、また一つには、私にもやはり医専の生徒であるという事の誇りがあって、烏《からす》もただ一羽枯枝にとまっているとその姿もまんざらで無く、漆黒《しっこく》の翼《つばさ》も輝いて見事に見えるけれども、数十羽かたまって騒「でいると、ゴミのようにつまらなく見えるのと同様に、医専の生徒も、むれをなして街を大声で笑いながら歩いていると角帽の権威も何もあったものでなく、まことに愚かしく不潔に見えるので、私はあくまでも高級学徒としての誇りを堅持したい心から、彼等を避けていたというような訳もあったのである、と言えば、ていさいもいいが、もう一つ白状すると、私はその入学当初、ただ矢鱈に興奮して仙台の街を歩きまわってばかりいて、実は、学校の授業にも時々、無断欠席をしていたのである。これでは、他の新入生たちと疎遠になるのも当り前の話で、その松島遊覧の船でひとりの新入生と顔を合せた時も、私は、ひやりとして、何だかひどく工合《ぐあい》が悪かった。私は船客の中の唯一の高潔な学徒として、大いに気取って、松島見物をしたかったのに、もうひとり、私と同じ制服制帽の生徒がいたのではなんにもならぬ。しかもその生徒は都会人らしく、あかぬけがしていて、どう見ても私より秀才らしいのだから実にしょげざるを得なかったのだ。毎日まじめに登校して勉強している生徒にちがいない。涼しく澄んだ眼で私のほうを、ちらと見たので、私は卑屈なあいそ笑いをして会釈《えしゃく》した。どうも、いかぬ。烏が二羽、船ばたにとまって、そうして一羽は窶《やつ》れて翼の色艶《いろつや》も悪いと来ているんだから、その引立たぬ事おびただしい。私はみじめな思いで、その秀才らしい生徒からずっと離れた片隅に小さくなって坐って、そうしてなるべく、その生徒のほうを見ないように努めた。きっと東京者にちがいない。早口の江戸っ子弁でぺらぺら話しかけられてはたまらない。私は顔をきつくそむけて、もっぱら松島の風光を愛《め》で楽しむような振りをしていたが、どうも、その秀才らしい生徒が気になって、芭蕉の所謂、「島々の数を尽して欹《そばだ》つものは天を指《ゆびさ》し、伏すものは波にはらばう、あるは二重《ふたえ》にかさなり三重《みえ》にたたみて、左にわかれ、右に連《つらな》る。負えるあり、抱《いだ》けるあり、児孫《じそん》を愛するが如し。松のみどり濃《こま》やかに、枝葉《しよう》汐風《しおかぜ》に吹きたわめて、屈曲おのずからためたる如し。そのけしき※[#「穴かんむり/目」、第3水準1−89−50]然《ようぜん》として美人の顔《かんばせ》を粧《よそお》う。ちはやぶる神の昔、大山《おおやま》つみのなせるわざにや。造化《ぞうか》の天工《てんこう》、いずれの人か筆を揮《ふる》い詞《ことば》を尽さん、云々《うんぬん》。」の絶景も、甚《はなは》だ落ちつかぬ心地《ここち》で眺め、船が雄島の岸に着くやいなや誰よりも先に砂浜に飛び降り、逃げるが如くすたこら山の方へ歩いて行って、やっとひとりになってほっとした。寛政年間、東西遊記を上梓《じょうし》して著名な医師、橘南谿《たちばななんけい》の松島紀行に拠《よ》れば、「松島にあそぶ人は是非ともに舟行すべき事なり、また富山に登るべき事なり」とあるので、その頃すでに松島へ到るには汽車の便などもあったのに、わざわざ塩釜まで歩いて行って、そこから遊覧船に乗り込んでみたのであるが、私とそっくりの新しい制服制帽の、しかも私より遥《はる》かに優秀らしい生徒が乗り合わせていたので、にわかに興が醒《さ》めて、洞庭《どうてい》西湖を恥じざる扶桑《ふそう》第一の好風も、何が何やら、ただ海と島と松と、それだけのものの如く思われて、甚だ残念、とにかくこれから富山に登って、ひとり心ゆくまで松島の全景を鳥瞰《ちょうかん》し、舟行の失敗を埋合わせようと考え、山に向っていそいだものの、さて、富山というのはどこか、かいもく見当がつかぬ。ままよ、何でも、高い所へ登って松島湾全体を眺め渡す事が出来たらいいのだ、それで義理がすむのだ、といまは風流の気持も何も失い、野暮《やぼ》な男の意地で秋草を掻《か》きわけ、まるで出鱈目《でたらめ》に細い山道を走るようにして登って行った。疲れて来ると立ちどまり振りかえって松島湾を見て、いやまだ足らぬ、これ
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