屋には朝日が一ぱいに射し込んでいて、先生は、上肢骨《じょうしこつ》やら下肢骨やら頭蓋骨《ずがいこつ》やら、頗《すこぶ》る不気味な人骨の標本どもに取巻かれ、泰然《たいぜん》と新聞を読んで居られた。廻転椅子を少し私のほうにねじ向け、新聞を卓上に置き、
「なんですか。」研究室に於ける先生は、教室の先生よりもずっと優しい。
「あの、第三国人と交際してはいけないのですか。」
「え、なんです?」先生は、関西なまりを丸出しにして問いかえした。
「周さんの事なんです。」私は先生の関西なまりに接して、思わず微笑した。こんどは落ちついて言うことが出来た。「周樹人君と交際してはいけないって、きのう或る人から言われたのですけど。」
「誰ですか。」
「名前は申しません。僕はその人の事を告げ口しに来たのではないんです。ただ、先生がそのようにお言いつけになったという話を聞いたものですから、本当かどうかお伺いにあがっただけなんです。」
藤野先生に対しても私は、周さんに対した時と同じ様に、思っている事が割にすらすら言えた。その理由らしきものに就いては、前に幾度も、くどいくらいに書いたが、しかし、結局は藤野先生や周さんのお人柄のせいかも知れない。私はあの人たちに対した時には、何か安心なのである。
「変ですね。」先生は、不満そうに口髭《くちひげ》を強くこすりながら言った。「私がそんなばかな事を言うはずが無いやないか?」
「でも、」私は口をとがらせ、「クラス会の時に先生が、」と言いかけたら、
「あ、津田君やな? あいつ、おっちょこちょいや。」と言って笑い出した。
「では、あれは、嘘なんですか。」
「いや、言った。私は、言いました。」と急に講義の時のようなまじめな口調になって、「こんど私たちの学校に、はじめて、清国留学生がひとり来た。この者と共に医学を勉強する事は、小にしては、支那に新しい医学を誕生せしむるためであり、大にしては、両者助け合って西洋医学をいち早く東洋に吸収し、もって世界全体の学術を更に進展せしむるところの好刺戟を作ってやるため、というくらいの意気込みをクラスの幹事たる者は持っていて欲しい、と私はあの時、津田君に言いました。その他の事は、何も言いません。」
「そうですか。」私は、拍子抜けしたみたいな感じで、「戦争中は、第三国人がスパイになる可能性があるとか何とか言って、――」
「何を言ってい
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