部引受ける。つねに一歩先んじなければいかん。僕だって、それはずいぶん苦労しているのだぜ。こないだのクラス会の時に、君は出なかったようだが、これからは出なければいかんね、そのクラス会の時にも、藤野先生が、幹事の僕に向って、留学生との交際には気をつけるように、とおっしゃった。」
それは私には聞き捨てならぬ事であった。何か藤野先生に裏切られたような気がした。
「まさか、藤野先生が、そんなばからしい外交的術策なんか。」
「ばからしいとは何だ。失敬な事を言ってはいけない。君は非国民だ。戦争中は、第三国人は皆、スパイになり得る可能性があるのだ。殊に清国留学生は、ひとり残らず革命派だ。革命の遂行のためには、露西亜に助力を乞《こ》う場合だってあり得るだろう。監視の必要があるんだ。一面親切、一面監視だ。僕はそのためにあの留学生を、僕の下宿にひっぱり込んで、何かと面倒を見てあげていると同時に、また、いろいろ日本の外交方針に添った努力もしているのだ。」
「何ですか、そのいろいろの努力というのは。けちくさいじゃないですか。」私も、かなり酔っていた。
「や、けちくさいとは、よくも言った。君は、まさしく非国民だ。不良少年だ。」顔色をかえている。「ふとい野郎だ。田舎にもこんな不良少年がいるからなあ。叔父貴の名前も知らないなんて、なってないじゃないか。も少し勉強しろ。お前はいまに落第するぞ。もう帰れ。お前の飲んだり食ったりした分を払って、早く帰れ。たたきも湯豆腐も、お前がひとりで食べたようなものだ。」
私は財布の中の金を全部、畳《たたみ》の上にぶちまけて黙って立った。
「やるか、おい。」と津田氏は大あぐらに両肘《りょうひじ》を突張ってわめいた。
私は苦笑した。
さようなら、とだけ言って外に出たが、さすがに面白くなかった。よし、あした藤野先生に直接逢って事の真偽をたしかめて見ようと思った。周さんがスパイになる可能性があって、そうして私が非国民の不良少年だなどと言われては黙って居られないような気がした。私は県庁裏の下宿している家に帰って、井戸端で顔を洗い、手を洗い、足を洗った。すこしさっぱりした気持になって、その夜は、ぐっすり眠れた。翌朝、私は意気込んで登校し、授業のはじまる前に、藤野先生の研究室に行き、ドアをたたいた。おはいり、という先生の声がする。躊躇《ちゅうちょ》せず、ドアをあけると、部
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